と重厚な真実性とをもたらしているのであるけれども、例えば「阿部一族」の読者は、精彩にみち、実感にふれて来るこの雄大な一作をよんだのち、満足とともに何とはなし自分の体がもう一寸何かにぶつかる味を味ってみたかったような気分に置かれることはないだろうか。いかにも完成された作品であり、豊かな完璧な作品にちがいない。だが、もう一寸何か皮膚にじかにふれて来る何かがあってもよくはないか。そんな感想にとらわれることはないだろうか。
 鴎外は芸術家として生れ合わせた明治という時代の特質を、漱石とは異った組み合わせで身につけていた人であったと思う。ロマンティックな要素、そしてその反面に根をはっている封建風なもの、この両者はそれぞれ独自なニュアンスをなして、云わばこの卓抜な二人の作家の正直さ、善良さ、真摯さの故に矛盾をも明かに示しつつ、生涯の実生活と作品とを綾どっている。
 今日の日本の若い精神も、つきつめたところにはまだこの血脈をひいていることは争えない。それでいながら、新らしきもの、古きものが溌剌と活溌に矛盾のままを発揚し、そのことによって発育してゆく可能を喪失して、一方では極めて低く単一化されている姿
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