何故彌一右衛門がそうなったかと考えると、それはつまり自分が仕向けたのだと気づかざるを得ない。しかも、そう気づきつつ改められないで、最期の床に横わった忠利に向って、幾度も殉死を願う阿部彌一右衛門の顔を見、声をきくとどうしても「いや、どうぞ光尚に奉公してくれい」という返事しか忠利の喉を出て来ないのである。
追腹を切って阿部彌一右衛門は死んでしまったが、そうやって死んでも阿部一族への家中《かちゅう》の侮蔑は深まるばかりで、その重圧に鬱屈した当主の権兵衛が先代の一周忌の焼香の席で、髻《もとどり》を我から押し切って、先君の位牌に供え、武士を捨てようとの決心を示した。これが無礼と見られ遂に権兵衛は縛り首にされ、一族は山崎の屋敷で悲惨な最期をとげてしまった。
武家時代の社会で君臣という動かしがたい社会の枠の中に、このようになまなまと恐ろしい人間性格の相剋が現実すること、そして、その相剋する力がその枠をとりのぞく作用としては在り得ないで、その枠内で揉み合って、枠内のしきたりによって悲劇の終末へまで運ばれてゆくのが、常に正直一途な家臣としての運命でなければならなかった事情を、鴎外はいくつかの插話を興
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