老大家を主人公とした伝記小説さえ出現している。一方、文学は質において果して今日豊饒であろうか。インフレ文学という苦笑が漲って、量が質とは相反するものとして観察されているのは如何なる理由からであろうか。
あらゆる文学が、芸術的表現・社会表現としての性質からそうであるように、歴史文学も、歴史の現実とのかかわり合いかたによって、逃避ともなるし文学の廃頽となっても現れるということについて戒心されなければなるまいと思う。
註 本文に引例した諸家の作品を、直接に見ようと思われる読者のために、それ等が何に収められているか(特に岩波・改造等の文庫の名)を、記して置く。
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「興津彌五右衛門の遺書」・「阿部一族」・「佐橋甚五郎」(岩波文庫・『阿部一族』所収)、「高瀬舟」「寒山拾得」・「じいさんばあさん」(岩波文庫・『山椒太夫・高瀬舟』所収)、「椙原品」(鴎外全集)、「澀江抽斎」(改造文庫)、「伊沢蘭軒」・「栗山大膳」(鴎外全集)、「鼻」・「羅生門」(新潮文庫・『羅生門』所収)、「地獄変」・「戯作三昧」(新潮文庫・『傀儡師』所収)、「忠直卿行状記」・「三浦右衛門の最後」・「俊寛」
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