かけてゆく歴史の力として描き出そうとしたのであった。

 今日、日本は刻々に最も深刻な歴史的な生活を経験しつつあるのであるが、歴史というものは今日の文学の中でどのように見られ、感じられ扱われているであろうか。ここに非常に錯綜した課題が在ると思う。歴史一般が、今日は重く顧みられているが、それは過去の炬火として今日へ光りをそそぐべきものとして扱われていて、今日の現実の光が過去の現実を明晰にして明日の糧とするという意嚮に立つ面は弱いと思われる。いくつかの文学作品の題材は、過去に求められて成功もしているのだけれど、その社会的なモティーヴはどこにあるだろう。今日の現実を真に歴史的に描きつくした上で創作の欲求が過去にまでさかのぼった姿であろうか。或は又、現実の文学化に堪え得ない何か事情が内外にあって人々は題材を過去にかりようとしているのであろうか。
 この問題は、今日伝記小説というもののありようとも併せて考えられなければなるまいと思う。欧米でも伝記小説は流行している由であるが、それに対して批評家は、今日のヨーロッパにおける文芸思潮の指導性の喪失の表現として観察している。日本には島崎藤村という現存の
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