いるきりの形しかもたないものだろうか。生のそのようなつよい力は、死の形を積極的に変化させる力となって歴史の様々な時代にそれぞれの表現をとるのではないだろうか。義民にしろ、英雄にしろ、それに対する封建の伝習は否定して、しかも猶民衆の要求の焦点として歴史のなかに存在するものではないだろうか。そして、それは甚兵衛の場合のような周囲の必然と個人の心理を動機とするより、もっと異った人間と歴史の他の積極面で発露することもあるのではなかろうか。いろいろとそういうような詮索が感じられて来て、読者は、これらの菊池寛のテーマ小説が、人間性に率直明白に立ちつつ、それらのテーマの本質は封建世界に向ってうちかけられている疑問であるが故に生新であるが、その基本は近代常識の極めて小市民風な実際性に立つ暴露に置かれていることを理解して来ると思う。
菊池寛のこの人生と歴史へのテーマの本質のありようが、芥川とどんなに相反するものであったかということは、大正末期、欧州大戦後の日本の社会が画期的波瀾にめぐり会ったとき、芥川はあのような生涯をとじ、菊池寛は「真珠夫人」等によって大衆文学の領域に進み出し、テーマの常識性、合理性
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