かったあらゆるテーマ小説で、封建的な勇壮の観念、悲愴の伝統、絶対性への屈服、恩と云い讐というものの実体等に対して、真正面からの追究を試みている。菊池寛は文学的出発において、バアナード・ショウの影響を蒙って一種の合理主義の人生観に立っていたと云われている。けれども、彼におけるその合理主義は決してショウのものではなくて、菊池寛という一個の日本の作家の身についているものであったことは、その合理性そのものが、当時の日本の思想と文学潮流とにとって或る意味では生新なものであったにかかわらず、本質の要素に日本の自然主義的な日常性と常識とをひきついでいたことからも明らかであると思われる。
 この点でも菊池寛は芥川龍之介と対蹠をなしている。
 菊池寛は、「三浦右衛門の最後」「俊寛」等で武士道徳のしきたりよりも更に強い人間の生命への執着と生の力の強靭さというようなものをその原形において押し出している。風変りな俊寛は、鬼界ヶ島で鬼と化した謡曲文学の観念を吹きはらって、勇壮に鰤《ぶり》釣りを行い、耕作を行い、土人の娘を妻として子供を五人生み、有王を驚殺するのである。日本の封建の伝統が近代日本の心にも伝えている
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