きなりの表現で描き出すことは避けてゆくたちの作家であったと思う。重要な作品のテーマであれば、それにふさわしい表現の手段が彼としては無くてはならず、しかも、西欧の文学に通暁していたこの作者が、題材として手柔らかな、纏めやすく拵えやすい過去の情景へ向ってそれを求めたということの精神の機微にも目をひかれる。西欧の芸術家、たとえばトルストイなどは、身近な芸術上の巨人として、文学の芸術性と社会性との問題などでは身を挺して苦悩し、その判断に矛盾をも示した芸術家であったと思う。芥川龍之介の精神は、何故この或る日のトルストイを作品の主人公とはせず馬琴を択んだろう。
 芥川は日本の作家である。其故という説明も心理の一つの必然にはふれている。しかし、そればかりではないものもある。芥川のなかに潜んでいた或る弱さ、或る常識的な賢さ、それらのものも、彼の目を馬琴に向けさせる力となったと云える。馬琴自身は芸術の問題として芥川が「戯作三昧」に描き出したテーマの性質に於ては、苦悩しなかった人である。そこに踰《こ》えきれない時代の相異が横わっている。歴史の必然がある。芥川龍之介は、文学的風趣によってそこをさりげなく、知
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