鴎外は、歴史小説という意味では、「高瀬舟」の中に、このいずれの点をも追究していない。作者としての主観にいきなり立って、財産についての観念、ユウタナジイの問題に興味をひかれているところがまた私たちには面白い。鴎外の主観は、一方に昔ながらのものを持ちつつも、やはり明治は四十五年を経て大正と進んで来ている時代の知識人の主観であって、その主観は既に身分としての武士と庶民とを自身の感覚のうちに感じ分けてはいず一般人間性にひろがっている。一般人間性のこととして、喜助の財産の観念にもユウタナジイのことにも興味をひかれている。鴎外のこの進歩性に立つ面も、更に一層歴史に対する観念の進んだ立場から顧みられるとき、彼が一般人間性に歩み出した新しさに止って、人間性をその先で具体的な相異においている社会的な関係へは洞察を向けていないことで、それ自身一つの歴史的限界を示しているのは、何と意味深いところであろう。
 鴎外の歴史小説が、その本質に於て作者の主観の傾向に沿って一般的な人間性の方向へひろがって行ったことは、「寒山拾得」にも十分うかがえるし、「じいさんばあさん」のような余韻漂渺たる短篇にもあらわれてい
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