全く個人の主観に立って安心立命をも得ており、弟殺しとして罪に問われたことも自分には十分わかっている真の動機からその心を腐らせるものとはなっていない不幸な喜助の個人の必然としての主観の世界を正面から扱っている点である。
 先にふれた三つの物語の時代より、この「高瀬舟」はずっと後代の物語であり、一方は武士社会のことであり、これは姓も持たない白河楽翁時代の江戸の一窮民の運命である。鴎外が、当時の江戸の庶民生活のありようの一典型として喜助のめぐり会わせを追究していないとこも、一方には注目される。作者を動かしたつよいモティーヴの一つであるユウタナジイの問題にしろ、同じ事情が武士の兄弟の間におこったとしたら、当時の通念はそれを庶民喜助の場合に対してと同様に判断したであろうか。兄と弟という順を逆にして弟と兄とのことであったら、どうであったろう。これらの点についての社会の判断は明らかに武士と庶民に対して違った標準で見られたであろうと思える。弟と兄と逆になればおのずと違ったものの在ったろうと思えるのも、時代が封建であったからである。
 財産についての観念も、扶持もちの侍と喜助とでは全く別世界のものである
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