門の遺書」は、鴎外が人間の異常な行動のモメントとして、強烈な感銘を本人に与えた一片の恩義が猶よくその人の生命を左右する力をもっていることを、美と感じたロマンティックな創作動因に立っている。封建の思惟をロマンティックな作者の精神高揚でつつんだものであった。
「阿部一族」では、そのようなロマンティックな要素も作品の一つの色彩とはしつつ、作者はぐっとリアリスティックに心理と経済の事情にまで広く多岐に踏みこんで、一人の君主の死が、武家社会に波及させた悲劇と生死の幾とおりもの姿を描き出している。作者はこの事件をめぐる総ての人々の心理を、その時代のそのものとして肯定して描き出している。阿部一族の悲劇は悲劇として深い同情をもって映されていて、そこに作者の人間性においての抗議や批判は表現されていないのである。これは特に私たちの注意をひく点ではなかろうか。鴎外が、この時代の悲劇はその時代のものとして、人々の感情行動の必然のモメントをもその範囲において描いたということは、鴎外が歴史というものを扱った態度の正当な一面であったと思う。誤った近代化や機械的な現代化はちっとも行われていない。そのことは作品の自然さと重厚な真実性とをもたらしているのであるけれども、例えば「阿部一族」の読者は、精彩にみち、実感にふれて来るこの雄大な一作をよんだのち、満足とともに何とはなし自分の体がもう一寸何かにぶつかる味を味ってみたかったような気分に置かれることはないだろうか。いかにも完成された作品であり、豊かな完璧な作品にちがいない。だが、もう一寸何か皮膚にじかにふれて来る何かがあってもよくはないか。そんな感想にとらわれることはないだろうか。
鴎外は芸術家として生れ合わせた明治という時代の特質を、漱石とは異った組み合わせで身につけていた人であったと思う。ロマンティックな要素、そしてその反面に根をはっている封建風なもの、この両者はそれぞれ独自なニュアンスをなして、云わばこの卓抜な二人の作家の正直さ、善良さ、真摯さの故に矛盾をも明かに示しつつ、生涯の実生活と作品とを綾どっている。
今日の日本の若い精神も、つきつめたところにはまだこの血脈をひいていることは争えない。それでいながら、新らしきもの、古きものが溌剌と活溌に矛盾のままを発揚し、そのことによって発育してゆく可能を喪失して、一方では極めて低く単一化されている姿
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