けれども、舞台に現れただけでは、決して其企図が徹底されているとは思われない。早苗姫が、真個にいとしかったのだが、万事が逆転して子には叛かれ、愛人には怨死されるのか、其とも、只、我ものになるからには飽くまでも服させずには置かない故に口説いたのか。若し、心から愛していたのなら、早苗姫が胸を貫いて死んだ刀の血を拭わせずに鞘に納めることもあり得ようが、忽ち、将軍になろうとしての上洛の途につく決心をするのは何故か?
 作者が、私の想像するように、早苗を真心から愛したく思っていたのに、彼の性格的な運命から事は悉く失敗し、最後に彼を捕えたのは、愛でもなく、沈思でもなく、何処までも彼を追い立てて行く武将の野心であったとするならば、最後の一句は、決して、其心をしみじみと味わせるだけの実感を漲らしてはいなかった。
 稍々《やや》誇張して云えば、早苗の自殺ではっと気を緊めた見物の前に、大きく「ええ、口惜しや、騙《たば》かられたか!」と仁王立になった信玄と、ちょんびり、出立の用意を命じて思い入れした信玄とが短くつながって幕になってしまったのである。
 早苗の死、其に連関して全く消極の働きを起した老傅役の自殺、子義信の反乱が、信玄の心にどう影響したか。自分は其が知りたかった。其点がはっきりしてこそ、早苗が、只、敵方に騙り寄せられた城将の妻が古来幾度か繰返したような自裁を決行したのか、又は彼女《かれ》が云うように、国や命を賭けた戦を、彼女《かれ》の命で裁かれたのか、歴然と一方に事実として照し出されたのではあるまいかと思うのである。
 幸四郎も熱を持ち、真実に演じようとはしていたらしいけれど、妙味を見せる場所もなかったように見える。
 嘉久子の早苗は、序幕の舞台が廻ってからが際立ってよかった。
 父鷺坂の居城が、此の武田勢に囲まれて既に危いと云う注進に、はっと顔色を変えて愕く様子。興奮して歩き廻りながら、早く、早く、救を遣れと命を下す辺。私の大嫌な作った姫様声は熱を持ち、響き、打掛の裾をさばいての大きな運動とともに、体中ぞっとするような真実に打たれた心持は忘れ難い。
 無理之助が現れて、さては騙かれたかと心付く辺以下もよかった。
「極楽の鬼」
 第一の感じ。随分賑やかなのに、何故がらんとして立体的でないのだろう。地下室の酒場らしい濃厚な陰翳がなさすぎる。周囲の高い壁がさっぱりしすぎている。声
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