んな分隊、野営をチャーリーが知っているのか、読者にはわからずに、はなはだ不安である。「本」をよますと「正確な理解力」を示すというが、それはどんな本であろうか。子供らは質問するというが、七百万人の失業者のあふれたアメリカの子供、牛乳業トラストが市価つり上げのため原っぱへカンをつんで行って何千リットルという牛乳をぶちまけ、泥に吸わせ、そのために自分たちの口には牛乳が入らないでウロついているアメリカ勤労階級の子供らは、亀のチャーリーにどんな、現実的なプロレタリアの子供らしい質問をするか? 子供らがピオニイルにならずにおれぬモメントはどこにあったのであろうか?
最も興味あり関心事であるべきそれらの点を、作者は機械主義で片づけている。同時に、一人の子供をピオニイルにしようとし、なし得たことによって得た経験が、亀のチャーリーの心持をプロレタリアとして、またアメリカ帝国主義の下で有色人種労働者として二重の搾取と抑圧とに闘っている日本人移民労働者としてのチャーリーの心持をどのくらい高め、鼓舞し、生きてゆく日常の世界観を変革したかというようないきいきした人間的階級的摂取は、作品のどこにもあらわれて来な
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