はてしない収奪と資本主義の高利貸搾取と二重の重圧によって祖先伝来の樹木さえ失い「樹のない村」となった山間のK部落の自作農らが、更に戦争の軍事費負担を加重される。軍部がその部落に二百円の強制献金を割り当てた。自作農らはついに共同墓地の松の木を伐ってそれを出すことに決議したが、昭和二年の鉱山閉鎖以来共同植付苅入れをしている「やま連」と呼ばれる農村の集団的な労働者がそれをきっかけに、未組織のK部落における闘争に率先して立つことになった。そのオルグ的役割は僕というプロレタリア作家によってされた。この小説はその作家の手紙からなっているのである。
「樹のない村」において、主題は「幼き合唱」よりはるかに積極的である。手紙の筆者である僕というプロレタリア作家は、闘争の激化した現段階で帝国主義日本の革命的勤労大衆の前衛に課せられている任務は、広汎で具体的な帝国主義戦争反対の闘いであり、帝国主義戦争によって生じるあらゆる矛盾のモメントを内国的にはプロレタリア解放のために有利に強力に転化せしめることであり、そのためにプロレタリアートの共力者として農民との結合が急務であることなどを理解している。
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