んなところはわれわれの目から隠されてしまっている。それらの部分で作者はきっと、思惟の当然の発展としてソヴェト同盟における社会主義的小学教育が全社会の前進とともに達成において新しい人間を生みつつあることや、または現在日本の文部省教育の腐敗は日本独特の封建的専制主義の重圧によるものであることなどもいっていることだろう。
そこを考えに入れても、この「幼き合唱」が読者にあたえる印象の総和は、錯雑と神経衰弱的亢奮と個人的な激情の爆発とである。行文のあるところは居心持わるく作者の軽佻さえ感ぜしめる。これはどこから来るのであろうか。
「子供の世界」という小市民的な一般観念で、階級性ぬきに子供の生活を「意欲をもたぬ純真」なもの、無邪気なもの、天真爛漫な人生前期と提出している点、作者は極めて非プロレタリア的である。バイブルが「手袋なしには持てぬ」代物である通り、ブルジョア世界観によって偽善的に、甘ったるく装われ、その実は血を啜る残虐の行われている「子供の無邪気さ、純真さ」の観念に対してこそ、プロレタリアートは「知慧の始り」である憎悪をうちつけるのではなかろうか。実際の場合に、人道主義的、正義派的な若い
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