彼を故郷へ呼びかえした点呼。強制献金。それ等の機会を、彼は階級的方向に転用しようとするのである。
 K部落の土着で、「ふん、自家用か、お前も役場の衆みたいなことをいう! これ以上、どうして芋が食える。朝食うて、昼食うて晩食うて……。お前に食わさんのが慈悲じゃと思え」という兄について彼は部落を歩きまわり、ことごとに部落の荒廃を目撃する。盆の十四日が百姓平次郎に鉈をふるわせる厄日であり、室三次の命の綱である馬が軍隊に徴発され、その八十円を肥料屋と高利貸に役場で押えられた室三次の女房は絶望して発狂した等々。それらを部落の一般経済事情の分析とともに、僕なるプロレタリア作家とは組織上どういう連関にあるのかまるで示されていない同志Tに、彼は細々と報告する。観察報告を書くとなると、彼はいわゆる作家的手腕を示す欲望にとらわれ、芥川龍之介がよく文章の中で使ったような調子までを使い、なかなか多弁に、詠嘆的に、味をたっぷりつけるのである。
 目撃したK部落の窮迫の現象から、彼は、猛然と「畑へ」「種子」をおろそうと決心した。部落は自作農ばかりだから、闘争組織は農民委員会であると規定し、「僕はいよいよ実行運動に入ろう」「時はあたかもウンカ問題で村会とこじれている」「やさしくなくとも僕はやる。我々の故郷に革命の詩をもたらすための開墾を」と、プロレタリア作家の農村における闘争的活動が開始される。
 読者はこの作家の実行運動において最も拙劣な、機械的なオルグを見るのである。強制献金のための村の衆の集りに出て、アジ・プロしようという機会そのものの積極的なとらえかたは、間違った方法によって失敗に帰したのだが、僕というプロレタリア作家は、手紙のこの部分になると、階級的先進分子としてオルグ的活動と作家的活動とを、完全に分裂した実践として行っている。
 失敗した宣伝教育の自己批判を通して、彼の口惜しさ、悲しみが読者の胸に浸み込むような真実さで手紙は書かれていない。第一信と同じ饒舌な文調で、書くために書かれている。オルグはオルグ、作家は作家、そして手紙を書くにあたって、まさに僕は作家なのであるという分裂を行っている。「どうでも書かずに居れぬ」と切迫した実感において自己の失敗を書くとき、誰が「いや――こんな描写を重ねていては君を退屈させる。僕はいい加減にペンをはし折らねばならぬ。ども小説書きというやつはどんな場
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