台ばかりあがりましたから……どうぞ」
金庫を背にした正面の机の前から、嘉造が、入って来る朝子に挨拶した。朝子と同じ年であったが、商売にかけると、二十七とは思えない腕があった。
「おい、工場へ行っといで」
「――二階――よござんすか」
濃い髪が一文字に生えた額際に特徴ある頭を嘉造は、
「どうぞ」
と云う代りに黙って下げた。
自分の腕に自信があって、全然情に絆《ほだ》されることなく使用人を使うし、算盤を弾くし、食えない生れつきは商売を始めた親父より強そうな嘉造を見ると、朝子はいつも一種の興味と反感とを同時に覚えた。朝子は、団栗眼《どんぐりまなこ》の十二三の給仕が揃えてくれた草履に換え、右手の壁について階段を登った。
階段は、粗末な洋館らしく急で浅い。朝子の長い膝が上の段につかえて登り難いこと夥しかった。片手に袱紗包をかかえ、左手を壁につっ張るようにし、朝子は注意深く一段一段登って行った。三分の二ほど登ると社長室の葭戸《よしど》が見えた。葭戸を透して外光が階段にもさして足許が大分明るくなった。
何の気もなく、朝子はバタバタと草履を鳴らし若い女らしく二三段足速に登った。
その途端に
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