の答えも待たず、
「うちに犬の児が二匹もいて、始末に困ってるんですの。じゃ一匹お宅で飼っていただきましょう、丁度いいから、今日連れてっていただいてね」
 立ちかかるのを藤堂が止めた。
「そんなに急に云ったって――御迷惑だよ」
「――駄目でしょうか……」
 細君は、高い椅子の上で上体を捻るようにし、不機嫌に朝子を見た。
 春になると、庭へ、ヒアシンスや馨水仙が不断に咲き満ちると云うことであった。それ等の花に囲まれ、益々病的であろう夫婦の生活を想像すると、朝子は頽廃的な絵画を眺めるような気分を感じた。彼等のところにも、夫婦生活の惰力が強く支配している。それがどんな沼か、朝子は、彼女の短い亡夫との夫婦生活で知っている。
 朝子は、漠然と思い耽りながら、社の門を潜った。
 小使室に、伊田がいた。伊田が低い腰かけにかけている後に、受附の茂都子が立って、ぐいぐい伊田の頸根っこを抑えつけていた。伊田は朝子を認め、頸をちぢこめたまま、上目で挨拶した。
「――ひどくいじめられるのね」
「ええ、ええ」
 茂都子が引とって朝子に答え、小皺のあるふっくりした上まぶたをぽっとさせて、
「本当に、この子ったら、すっかり男っ臭くなっちまって……あんなに子供子供してたのに」
 なお抑えつけようとした。伊田が本気で、
「馬鹿! 止してくれ」
と、手を払い立ち上った。
 二時間程経って、朝子が手洗いのついでに、例の濠を見渡す、ここばかりはややセザンヌの絵のような風景を眺めて立っていると、伊田が来た。彼は、さっき見られたのが大分極り悪い風であったが、それは云わず、
「今日おいそがしいですか」
と朝子に訊いた。
「いいえ――用?」
「用じゃないんですけど……夜、上ってかまいませんか」
「いらっしゃい」
「川島君も行くかも知れないんですが」
「どうぞ」
「川島の奴……叱られちまやがった」
 伊田は、面白がっているような、怖くなくもないような、善良な笑い顔をした。
「……じゃ」
 朝子に、訊ねる時間を与えず、彼は云った。

        五

 日露戦争当時、或る篤志な婦人が、全国の有志を糾合して一つの婦人団体を組織した。戦時中、その団体は相当活動して実績を挙げた。主脳者であった婦人が死んだ後も、団体は解散せず明治時代|帷幄《いあく》政治で名のあった女流を会長にしたりして、次第に社会事業など企てて来た。
 
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