立って境の唐紙をあけた。粗末な長火鉢を前にして坐っている伊藤の細君が、
「さ、お鼻薬」
と、猫板の上に小皿に盛った黒豆を出してくれた。甘く煮た黒豆! 一太は食慾のこもった眼を皿の豆に吸いよせられながら、膝小僧を喰つけて小さくその前に坐った。一太は厳しく云いつけられている通り、
「御馳走さま」
とお礼を云った。母親の頭が唐紙の隙から出た。
「おやまた何か戴いたんですか……済みませんねえ」
 そして、細君に向って愛想笑いしつつ、
「だから御覧なね、外の方じゃないからいいようなもんの、まるでおねだり申したみたいじゃないか」
と一太を叱った。
「あなたもちとお茶でもおあがんなさいよ、こっちで」
「ええ、有難う。本当に親父のいる頃不自由なくしてやってた癖が抜けないでね。本当に困っちゃいますよ」
 一太は、楊枝《ようじ》の先に一粒ずつ黒豆を突さし、沁《し》み沁《じ》み美味さ嬉しさを味いつつ食べ始める。傍で、じろじろ息子を見守りながら、ツメオも茶をよばれた。
 これは雨が何しろ樋をはずれてバシャバシャ落ちる程の降りの日のことだが、それ程でなく、天気が大分怪しい、或は、時々思い出したような雨がかかると
前へ 次へ
全23ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング