太、幾つですかって」
「十」
「じゃ一つ違いですね、家のは九つだから。学校は何年? 三年? 四年?」
「…………」
一太は凝っと大きい母親の眼にみられ正直に、
「学校へ行きません」
と云った。一太は変に悲しい気がするのが常であった。それは一太のその答えを聴くと人が皆、一種異様な表情をするからであった。一太は居心地わるく感じて、訊いた人の顔をみる。訊いた人は一層具合の悪い顔で言葉もなくいる。一太の母はそのとき、
「本当にお恥しくってお話申しあげも出来ないんですよ。震災のときこれの親父に死なれましてからってもの、もう手も足も出なくなっちゃいましてね」
と、徐《おもむ》ろに永い、いつになっても限りのない貧の託《かこ》ち話を始める。帰るとき、一太と母は幾らかの金の包みと、そう古くない運動シャツなどを貰った。
秋の薄曇った或る日、一太は茶色に塗った長椅子の端に腰かけ、ぼんやり脚をぶらぶらやっていた。一太の傍に母親がいて向うの別な椅子にもう一人よその人がいる。一太と母とは、稼ぎの一つである訪問に来ているのであった。薄暗い部屋の中に、何一つ一太の面白いものはなかった。一太は決して歩いて行ってそれに触るようなことはしなかったが、浅草のおばさんちにあったような鳥の剥製でもあるといいのに! 壁には髭もじゃ爺の写真がかかっているだけだ。
先刻から、一太の母と主人とは大体こんな会話をしていた。
「私もそうおっしゃられると一言もございませんですが、もうこう堕ちてしまうと、全く今々の心配に追われるばかりで、とても考えを纏めるなんてことは出来なくなってしまうんです。さあ、明日母子二人がどうして命をつないで行こうと思うと、もうボーっとなってしまいますばかりでね。――どうやらこうやら皆さんの御同情にあずかって過して来ておりますような訳で……こんなにして、御縁の浅い先生のところまで上りまして厚かましいのは承知でございます」
「そういう意味で云ったのじゃない。結局のことは当座の端した金ではどうにもならんし、そうやって御子息もあってみれば、何とか法をつけて、安定な生活――已を得ずんば下女奉公か別荘番をしてなり、定った独立の収入のある生活をして、一通りの教育をも与えてやんなさらないと、後悔の及ばないことになってはいかんと思うからです」
「私も、そればかりが心配でございましてね。こうやっているうちに不良
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