げ]
「若し『繩おとし』にでも掛ったら、どうする積りだろう
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と思った彼は思わずあせって彼女の後を追おうとした時である。
彼はオヤ足に何か引っ掛ったなと思う間もあらせず、今まで非常に順序よく運ばれて居た体が大変動を起した。
何かに引っかかった足は、どうしても取れるどころか、身をもがけばもがくほどひどくしまって来て、大きな大きな叫び声と共に、彼の体はすっかり、でんぐる返しになって仕舞ったのである。
天地が真暗になった様な気がした瞬間に、彼はすべての事を知って仕舞った。
雄鴨は到頭、百姓の張って置いた繩落しに掛ったのである。
もう此処を先途と叫び立てる彼の声に驚かされて、飛び戻って来た雌鴨はまあどんな様子を見た事か!
彼女は第一に、宙を掻いて居る一本の卵色の足を見た。
次には、白黒くピクピクして居る腹をながめ、最後に口をあけハアハア云って叫んで居る雄鴨の顔を見た時!
彼女は氷をあびた様に感じた。
たまらない恐れが其処にジイッと、彼女をさせて置かなかった。
何の躊躇もなく、一二度羽根だめしをすると、彼女は死に物狂いな叫びを上げて、狂気の様に飛び上って仕舞った。
激しい羽音ばかりが、苦しんで居る雄鴨の心を強く打ったのである。
彼は、逃げ出す雌鴨を見ると、一層はげしく身をもがきながら叫んだ。
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「ああ、
一寸待って、おい、一寸待って御呉れったら。
ああ、あ! 待っておくれって云うのに、
行っちまっちゃいやだよ、ああ一寸……
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けれ共雌鴨の姿はすぐ見えなくなって仕舞った。
彼はもう夢中であった。
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「どうしても逃げなけりゃならない。
「どうしても生きなきゃならない。
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と云う願望が、気違いの様に羽ばたきをさせたり、空な足掻きをさせたりした。
白と黒の細かいだんだらの腹を、月の光りにさらしながら、頸ばかりを長く振りのばして、悲しい声に彼は叫びつづけたのである。
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「何と云う事になったのだ!
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彼は、自分を喰い殺して仕舞い度い程の、いまいましさと自放[#「放」に「(ママ)」の注記]自棄を感じた。
散々叫びつづけ、鳴きつづけて喉もかれがれになると、彼はあきらめた様にだまり返って仕舞った
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