にあるものがあるのを示し、知り、解剖するに止ることが多い。狭き我のバッコはいけないが、decision を持ち得ない砕けすぎは恐ろしいダラクの一段だ。トルストイかぶれの moral でない私の評価をもちたい。世の中に雑作なくけなされることの多いのは、――そう云う社会の中に住むことは、己惚《うぬぼれ》をまさること、更によきものに向っての努力を忘れさせる点で実にいけない。
 自分の周囲を批判し、不満な点を認め得るということ丈が、既にその箇人の進んで純な所以であるかの如く誤解するからいけない。これは、私にもあり、Aにもある。
 真の向上心は欠け、自らそのことを実行しない、しても渦中にないという丈で、云える批評で、安心するのは低級至極な話だ。わかって居るつもりで、私は自分のきらう口やかましく実力なき批評家の一人になりかけた。どうかしてもっと鋭き wide−awake な敏感さを持ちたいものだ。

     西川文子氏の話

 西川文子氏は面白い人物だ。
 先ず風から見ると、頭髪をわけ、うしろでまるめるはよいが、白いゴムに光る碧石が入った大きなお下げどめをし、紺サージの洋服に水色毛糸帽同色リボンつきといういでたち。顔に縦じわ非常に多く、すっかりあかのつまった長い爪、顔の色あかぐろく、やせる。
 西川氏の周囲には浪人ものが多く集って居る。なかに、九州の人で、帝大を卒業するときやめ、車夫になり、体がよわくなってから「梶棒をすて」今は知人に一斤ずつ米をもらったりして、働かなければならないと云うなら死ぬと云って、桃太郎主義を奉じて居る。
私「桃太郎主義って?」
西「――つまり桃太郎がすきんですね。この間九州から出て来ましてね、今このさむいのに、代々木の方で夜警をやって居るのですよ。夜中は震えますってさ。そりゃあひどく震うんですって。余り震えるからって、うちへ来なさいましたから古洋服だの靴まで貰ってよろこんでかえりなさいましたよ。偉いんですよ。気違いじゃあないんです。少し頭が変なんです。この間来なすった時、明治神宮の前できび団子でもこさえて売ろうかって云いなさるから、そりゃあ面白い、うんとおやりなさい、後援してあげましょう、と云いましたが、まさか、実際にそれをするのはいやなんですね。考案は、大きなのや小さなのや種々雑多なのを作って売ろうと云うのだったのですがね。」
 又、
「いいえ、真
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