一九二三年夏
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)軽舸《カヌー》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「片+(總−糸)」、第3水準1−87−68]
−−

 標準時計
 福井
 地震と継母
 Oのこと
 mammy のこと
 aと自分



 ○祖父母、母、――自分で三つの時代の女性の生活気分と時代(明治初年、明治三十七八年――現今)に至るを、現したい。
          ――○――
 国男、山田さん位の青年の恋に対する心持、恋のしかた、と、娘のそれとの組み合わせ。
          ――○――
 放火犯の心持、
 寥しさに火をいじることから始り、心の寥しさが増すにつれて、大きな火をいじるようになる。
 火の透明な、暖い燃える色。
          ――○――
 Tさんの心持を思う。
 Kのあの冷淡な、実業家的の Matter of Fact の心持。
 TさんがKを愛して居るのに、この愛が素直に受け入れられず、その境遇を代えたいのに代える実力も同情者もなく、子供にしばられて、運命にすてばちになって居る心持。
 彼女が active に家のことをせず、成金くさくなって居るのは、憐れなふてくされ、と云えよう。
 情があって、頭のない女のあわれさ。
          ――○――
 中江さんの場合、
 彼女の快活そうな様子はどこから来るか。
          ――○――
 ○地震がひとに与えた大きな運命の狂いを背景として、いつも思って居た継母のことを書きたい。
          ――○――
 クリスツス。(christus) see. New Y. Times. Sep. 15, 1923
 Anton Lang と云う男 キリストに似たような顔と体、とくに肩つきに似て居ると云うので Passion Play のクリスになる。
 その顔の類似が精神に及ぼす影響。
 クリストへの愛、研究が深くなるにつれ、自分のキリスト的顔と、一村人としての性格との間の矛盾におそれを抱く。女達の崇拝する心持に対する自嘲、不幸な、苦しみ多き人間として生活するその内面を描いて見たい。

     ◎標準時計

 絶対に狂わず正確なもの と云う
 それを或日本の海軍将官が英国で買った。六年の間に一分進んだばかりなので、この次英国に行った時、店に行ってほめた。そしたら、六年の間に 例え 一分でも進むようなことがあったら、標準時計にはなりません。これは久しい間試験したのですからと云って、新らしい別なのと代えてくれた。
 この話を基ちゃんからきき、自分はそんなに正確な時計を持って居る人間が若し神経質だったら、どんなに恐ろしく、生命の粒のこぼれて行くのを感じるだろうと思った。
 始めそんなに正しいのを持ったよろこび。やがて不安。
 その心持は短篇にまとまる。
 ○時計で南北を知るには、直射光線にうつる短針のかげをかさね、十二時とそれとの中央を南とし、正反対を北。
 ○列車の速力は、二十二秒半にこすレールのつぎめの数が時数。
 ドイツに Wanderlied の多いこと Faust でさえ、一種のヴァンデルリードではないか。
 ドイツ人の心持。
 イギリス人にない。
 日本人は?

     六月二十三日

 梅雨のはれ間、激しい西北の風とともに空はすっかり霽《は》れ上った。
 庭に出、空を仰ぐと、深い一片の雲もない天に、月と星とが、小さく、はっきり見える。中天に昇って居る故か月は、不思議に小さく近く見えた。何か見えない糸で天から吊るされ、激しい風が吹き渡る毎に、吊下げられた星や月も揺れまたたくように思える。
  又他の風景。
 七八月のような大暴風雨の後、梅雨がすっかりはれ上った。柔い若葉をつけたばかりの梧桐はかぜにもまれ、雨にたたかれた揚句、いきなりかっと照る暑い太陽にむされ、すっかりぐったりしおれたようになって、澄んだ空の前に立って居る。
 六月の樹木と思えない程どす黒く汚く見えた。

     六月二十四日

 見えないところから、月の光が廊下に流れ込んで居た。硝子戸を透して、地に堕ちて居る樹木の陰や黒々と立って居る松の深い梢を見ると、自分は急にうすら寒い、凍りついたものを見えるような心持に打れた。
             ◎
“暗い部屋から茶の間の方に行こうとすると、畳廊下の下に、錯綜して、明るく、暗く走せ違って居る部屋部屋から洩れる光りで、自分は変な目まぐるしさを覚えた。襖に当って屈曲した三尺幅の光の波が、くっきり斜に、表現派の舞台装置のように、光度を違えて、模様を描いて居る。
             ◎
 宮原氏と原稿の話をした時、二十四字づめを使って居ると云うと
 彼は
「それ丈は一寸違って居るんですね」と云った。
 自分は、軽い、而し鋭い侮蔑[#「侮蔑」は底本では「悔蔑」]を感じた。
             ◎
 六月の若い栗《クリ》の梢に、黄金の軽舸《カヌー》のような半月が浮んだ。
             ◎
 彼は、自然や小さな動物を愛し、金魚を飼い小鳥をかいし乍ら、庭に犬が入ったり、蟻が出たりすると、狂気のようになって追い廻す性質だ。

     七月二日

 梅雨がもう少しで上ろうと云う日、二階から茂った梧桐や槇の葉ごしに見える空は、どんよりと曇り、底に雲母のような明土を湛えて居る。私は、ぼんやり右往左往に入れ乱れ、房々、涼しそうな葉をつけた梧桐を見ながら、隣家から聞えて来るダンス・ミュージックを聞いた。余韻の乏しい、妙に機械的の音が、賑やかならば賑なほど心の憂鬱を誘うようだ。

     忘られぬ印象

 一、Oさんを m. m 大学に訪ねる。
 二、翌日来。
 三、父 門のところで会ったのをだまって居、帝国ホテルの音楽のかえり、ボサンケットのことから会ったと白状、m. m 感あり。
 婦女新聞で、年下の青年に好意を持つ夫人のことをよみ、これが、悪でないと批評され且若いときから恋を知らなかった人は、年をとってから急にその目醒めを感じることがあるとよみ、自分のことも種々思う。
 四、久しぶりで娘に会う。夜、いろいろの話の末、そのことになり、若い亢奮した初々しい様子で、自分にあった二三日前のことから、自分にそう云う場を「まあ、想像して見れば」と話す、「考えられもしないことだけれども」云々と。そしてしきりにOの噂をする。彼が妻に、大きな転期の来る迄はどこまでも導いてやろう、と云ったと云うことや、彼が、宗教によって培われた純粋さを飽くまで守りたいと云ったのはどう云う意味だろうとなど。
 五、娘 その若々しい、人らしい運命をおそれる心持を同情する。平常まるで納ったように四十、五十近い女性の重みと鈍さを見せて居る彼女も、しんに、これ丈の不安を抱いて居るかと、人間生活の神秘さに打れる。
             ◎
 A、四日の倉知の集りに行かず。母は悪く Understand す。自分は云わないが、
 彼が、私が会うと心がくじけることをおそれ、又自分も、戻したい気になると思って行かないのか。それ迄深い good will があるかと思う。
 わかりはするが、一緒に居ては苦しく楽に仕事の出来ないと云う不幸な心持。
 他に誰と居たって出来ないのは判って居るが。
             ○
 俊ちゃん 三井からロンドンに行くときまる。その日、友人に誘われ夕食をしたと云い、酒気のある顔をして来る。涙もろくなりしきりハンケチで眼頭をふく。
 祖母、
「始めはうれしくって涙が出たが、今度はかえる迄生きて居られないと思うと別な方から涙が出るごんだ」としきりになく。
 然し、餞別に三十円も出せと云うと急に勘定だかくなり子供のうちからこれこれしてやり、こちらに来てからも五十円出してやっただ、とこばむ。

     四十五十近い女と二十四五の成熟した女の心理的衝突

 母が近頃、弱いことで甘やかされて居るのに、自分の主張は正しいばかりで通ると云う信仰をかたくして居る浅間しさ。
 ◎自分は着物をどんどん作っても祖母の身のまわりのことはかまわず
「どうしてそう変なおなりをなさるでしょうね、お持ちだのに」と愛のない言葉をかける。
 娘に、「何を着たってわるいものはわるい」と云う。
 そう云う若い時からの執念で威張り、それ見ろ、と云う態度で居るのを見る心持。――劬《いた》わられるのが当然と云う自負
 ◎その位の女の享楽主義
 夏目さんの奥さんが自動車に乗って遊んだのも無理なし、若い時の苦労を思い出し、今こそ自分の力で楽しめると云う傾向
             ○
 七月八日、もうすぐ暑中休暇にもなるのに、時候が逆がえりし、急に単衣に肌衣を重ねても、うすらさむいようになった。
 曇った空の下で、茂った梧桐の葉などが却って、わびしく、寒く感じられる。
 階下で小さい女の子が、肝[#「肝」に「ママ」の注記]高い声を張げ[#「張げ」に「ママ」の注記]て読本のおさらいをして居るのが、静かな四辺の空に響く。
「わたくしには、口も眼も耳もありません。手も足もありません。まるいけれども、まりのようにまんまるではありません。いきては居ますが、動くことは出来ません。私を転すことは誰にも出来ますが、立たせることや二つ重ねることはどうしても出来ません。」

     母と英男との争い

 母のまるでインテレクチュアルでない自分をよしとしてすてばちに押し通す強さ、醜き強さ。まるで理路の立たない烈しさで怒鳴るのをきくと、自分はピアノをひいて居ても指の下でなる音がちゃんときこえず、こんな喧しい調和のない雰囲気からさっさとにげ出したいとさえ思う。ある理想の下に、そこに達しようとして争うならよいけれども、徒に水かけ論で高声を発するのはたまらなし。
 ◎子を持った女のすてばちな全身的な発裂には参る。この点、生物学的にも、ヒューモラスにも考えられる。
 ○下島、皆に馬鹿にされ乍ら母の性格を理解して、寛大にして居る。――強いところのあるところなどを――。

     一九二三年八月

 福井。スーラーブを書いて居るとき。
 九月の八朔一日が来る迄、福井では午ねをする。十二時すぎから、二時頃迄。
    ○憧憬
 二時に、寺の空かんを叩くような、空虚な貧しげな鐘がなった。
 カンカンカンカン、音は次第に急調になり、せき込んで、遠くの暑い田の面、せみのなく樫の梢に淋しく反響する。
          ――○――
 盆の永代経だとて、老人、黄色のかたびらをき、かさをかぶって寺に参る。
          ――○――
 ブドー棚の下の涼み台、老人、冷酒をのみナムナムナムと低誦す。
          ――○――
 ○参って来ますわいの(女が行く)
 ○参りんなさらんけ(誘う女)
 ○おとろしい=恐しい
 ○おおけに=大きに
 ○やあ、困ったもんが出ちもうたやらと思うてようく見ると、……じゃったんだそうだ。
 ○云うことじゃないけどがあ、
 ○なっちもうた
          ――○――
 小作争議で、小作は田をかえす。
 農業は利益のすくない為、皆、金の心配ばかりする。
 維新のとき、禄をあとで払ってくれると云うので、皆、株として士分の名を買う。
 荒木もその一、苦笑すべきだ。
          ――○――
 最も金をかけず、最も早く修業を切りあげて最も早く金をとるようになったを偉いと云う。
          ――○――
 二階には、一対の六枚折屏風があった。わるく赤っぽく、光る金箔で霞を置いた仕切りの中に、近江八景がまるで風情のない田舎くさく稠密な筆で描いてある。おそらく田舎画描きの大作の一であったのだろう。
 力のかぎり画の具のかぎりと云う風に、土佐風、南画的調子こきまぜて書いてある。仮《たと》えば矢走《やば》せの帰帆を意味するの
次へ
全2ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング