◎
 宮原氏と原稿の話をした時、二十四字づめを使って居ると云うと
 彼は
「それ丈は一寸違って居るんですね」と云った。
 自分は、軽い、而し鋭い侮蔑[#「侮蔑」は底本では「悔蔑」]を感じた。
             ◎
 六月の若い栗《クリ》の梢に、黄金の軽舸《カヌー》のような半月が浮んだ。
             ◎
 彼は、自然や小さな動物を愛し、金魚を飼い小鳥をかいし乍ら、庭に犬が入ったり、蟻が出たりすると、狂気のようになって追い廻す性質だ。

     七月二日

 梅雨がもう少しで上ろうと云う日、二階から茂った梧桐や槇の葉ごしに見える空は、どんよりと曇り、底に雲母のような明土を湛えて居る。私は、ぼんやり右往左往に入れ乱れ、房々、涼しそうな葉をつけた梧桐を見ながら、隣家から聞えて来るダンス・ミュージックを聞いた。余韻の乏しい、妙に機械的の音が、賑やかならば賑なほど心の憂鬱を誘うようだ。

     忘られぬ印象

 一、Oさんを m. m 大学に訪ねる。
 二、翌日来。
 三、父 門のところで会ったのをだまって居、帝国ホテルの音楽のかえり、ボサンケットのことから会ったと白状、m. m 感あり。
 婦女新聞で、年下の青年に好意を持つ夫人のことをよみ、これが、悪でないと批評され且若いときから恋を知らなかった人は、年をとってから急にその目醒めを感じることがあるとよみ、自分のことも種々思う。
 四、久しぶりで娘に会う。夜、いろいろの話の末、そのことになり、若い亢奮した初々しい様子で、自分にあった二三日前のことから、自分にそう云う場を「まあ、想像して見れば」と話す、「考えられもしないことだけれども」云々と。そしてしきりにOの噂をする。彼が妻に、大きな転期の来る迄はどこまでも導いてやろう、と云ったと云うことや、彼が、宗教によって培われた純粋さを飽くまで守りたいと云ったのはどう云う意味だろうとなど。
 五、娘 その若々しい、人らしい運命をおそれる心持を同情する。平常まるで納ったように四十、五十近い女性の重みと鈍さを見せて居る彼女も、しんに、これ丈の不安を抱いて居るかと、人間生活の神秘さに打れる。
             ◎
 A、四日の倉知の集りに行かず。母は悪く Understand す。自分は云わないが、
 彼が、私が会うと心がくじけることをおそれ、又自分も、戻したい気になると思って行かないのか。それ迄深い good will があるかと思う。
 わかりはするが、一緒に居ては苦しく楽に仕事の出来ないと云う不幸な心持。
 他に誰と居たって出来ないのは判って居るが。
             ○
 俊ちゃん 三井からロンドンに行くときまる。その日、友人に誘われ夕食をしたと云い、酒気のある顔をして来る。涙もろくなりしきりハンケチで眼頭をふく。
 祖母、
「始めはうれしくって涙が出たが、今度はかえる迄生きて居られないと思うと別な方から涙が出るごんだ」としきりになく。
 然し、餞別に三十円も出せと云うと急に勘定だかくなり子供のうちからこれこれしてやり、こちらに来てからも五十円出してやっただ、とこばむ。

     四十五十近い女と二十四五の成熟した女の心理的衝突

 母が近頃、弱いことで甘やかされて居るのに、自分の主張は正しいばかりで通ると云う信仰をかたくして居る浅間しさ。
 ◎自分は着物をどんどん作っても祖母の身のまわりのことはかまわず
「どうしてそう変なおなりをなさるでしょうね、お持ちだのに」と愛のない言葉をかける。
 娘に、「何を着たってわるいものはわるい」と云う。
 そう云う若い時からの執念で威張り、それ見ろ、と云う態度で居るのを見る心持。――劬《いた》わられるのが当然と云う自負
 ◎その位の女の享楽主義
 夏目さんの奥さんが自動車に乗って遊んだのも無理なし、若い時の苦労を思い出し、今こそ自分の力で楽しめると云う傾向
             ○
 七月八日、もうすぐ暑中休暇にもなるのに、時候が逆がえりし、急に単衣に肌衣を重ねても、うすらさむいようになった。
 曇った空の下で、茂った梧桐の葉などが却って、わびしく、寒く感じられる。
 階下で小さい女の子が、肝[#「肝」に「ママ」の注記]高い声を張げ[#「張げ」に「ママ」の注記]て読本のおさらいをして居るのが、静かな四辺の空に響く。
「わたくしには、口も眼も耳もありません。手も足もありません。まるいけれども、まりのようにまんまるではありません。いきては居ますが、動くことは出来ません。私を転すことは誰にも出来ますが、立たせることや二つ重ねることはどうしても出来ません。」

     母と英男との争い

 母のまるでインテレクチュアルでない自分をよしとしてすてばちに押し通
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