る強さ、I want because I want と云うところが、私共すべて林町の者にどぎつく、たまらなく見えるのだ。その社会の層の比較として見るとき面白し。
自分として困ることは、Aの貧しさは、彼の心の寡慾、学究によると思った。が、そうばかりではないと云うことだ。
Aの勉強
まるで誰かに恩でもきせるようにほこり、同情されることをよろこびとすると見た。その反動で、自分は勉強について一寸もぐちは云うまいと覚悟した。
たのまれてするのではなし、自分が愛し仕事をするのに、何をグドグド云う! と云う心持。
九月一日
今年は梅雨がひどく長かったので、八月に入ったらちっとも雨が降らなかった。
それが、三十一日の午後から少し模様があやしくなり、その夜は、珍らしいざんざ降りになった。
空には、東の方に凄い風雲が伝説のぬエのように浮び、俗に雨つぼ、と云われる西南の文珠山の上にはとけたような雨雲が見えた。始め大変な風、夜になって雨。
一日の朝は、折々さっと白雨が来、数回地震があった。老人は、「自分等の子供の時、天変地異と云う本をよんだことがあるが、ひどく乾いたでと(泥土)の中に斯う水が入ると、火が起って地震になると云うことですいの」と云う。
それでも夕暮になると雨もやみ、風もしずまり、すっかり秋らしい虫の声とともに、西日がさし出した。
二階の三尺幅の※[#「片+(總−糸)」、第3水準1−87−68]から見ると、すぐ目の前に、大きな蜘蛛がしきりに巣を張って居る。
その時期を見ることに正しいのと、いそがず、うまず、自分の体の重みで具合よく張った糸にからみついては巣をはる様子に、蜘蛛の智慧と云うようなことを思った。
九月三日
夕立。
東京には、伊豆大島の近くの海底に地すべり地震があったと云う。大地震、火災、つなみで林町も青山もどうなったかわからないと云う。(一日の昼十二時から)
今日夕立が来。
二階から見ると、足羽川の堤が木の間から見え、元は、いつも見える山がすっかりかくれてしまって、一面水っぽい灰色なので、まるで海につづいて居るような感じがする。Aは、福井市へ電報、帰る汽車その他のうち合わせに行って居る。烈しい東風雨[#「東風雨」はママ]で恐らくかえりはおくれるだろう。
十月十四日
九月一日関東、湘南に
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