「Y+Y」、499−11]が忘られない程の親切をしても忘れ、泣くほど腹の立つことをしても忘れてしまう。そういうたち。
    又
 ○Yは、人生は何か、人間は何故このように生活するか、その目的意味などについて、考えたことなし。若い頃、実生活の内にある矛盾――例えば悪いことをする男が社会的高位につく、なぜか、それではわるいのではないか等、そういう風に苦しんだ。道徳性によって。
 然し、社会の高い位置というのが、果して人間的生活の上で高い位置か、とは考えるたちでなかった。――哲学的ならず。
 然し、三十三の今、そういうものが大して本当に価値もないものだと知って居る。その原因は、下らぬ奴でも或社会人としての力量さえあればその位のものにはなれると、わかったが故、又実生活の経験が、その地位で人間的苦悩を癒し得ず、却ってそれを増すのであることを知ったため、
 然し、絶対に比較しての哲学によってそう判断するのではない。
 ※[#「Y+Y」、500−4]は、このような問題を哲学的に考える。国家というものについても社会についても。故に、超今日[#「超今日」に傍線]の批評生ずるなり。Yとは、この現代の評価に懐疑的であるという点に於て、一致して居る。

 ※[#「Y+Y」、500−6]、何かして遊んで居ても時々人生とは何ぞや、又このようにして居るうちに貴重な一生の部分の過ぎゆくことを痛感し黙然とすることあり。
 Y、そのようなことはない、それで※[#「Y+Y」、500−8]、一種の bitterness と孤独感を覚えて
「楽天家!」と呼ぶ。
 Y地道なり。日常生活が幸福に行って居ると、心苦しまず。
 ※[#「Y+Y」、500−11]は、第二次的クサリがなく、自由なればなる程、大きな疑問と面接する自己を感じて苦しむ。

     八月一日

 夜、黄金虫が障子にとまった。
[#図1、絵「黄金虫。頭に「朱と金」の文字、胴に数本の縦縞と「縞」の文字」]
 朱と金の漆塗と、印殿《インデン》草で出来た虫だ。翼の合わせめがかっちりとした根つけ細工のようだ。
 時々三対目の後脚をいかにもかゆ[#「かゆ」に傍点]そうにこすり合わせた、見て居て、自分もくすぐったくなる程
[#ここから1字下げ]
〔欄外に〕
 よく見るとうるしの刷目のようなむらさえ頭や翅にあり、一寸緑色がぼやけて居るあたりの配色の美、
[#ここで字下げ終わり]

     田舎の寺の和尚・宗匠

 何でも云いたいことを十七字につめて云うて見なさい
「サコジ行く ダモンのさきで ホトが鳴く」
「ふつうの言葉で云うて御覧」
「三光寺行く 大門のさきで ほととぎすが鳴く」

     愛情の種々

 ○性的生活に於て 能動的なものの被動的なものに対して感ずる愛情。
 ○能動的な立場のものは 自分によってあのように燃え 情を発し、夢中になるものが可愛く 何も云えず牽きつけられる。自分に向って来る体のすべてが可愛く、触覚に訴えられたすべてを味い、知って居る。――故に女より女の美しさは男が知って居る 美しい女は男が描く。
 ○女は、男を愛しつつ、男が女を味うように男を味うことは尠い。圧倒される形だから。例えば顔にしろ、男は観る、女は見ないのが普通。一定の感覚にだけ全心の注意をあつめる。故に美感にとぼし。性慾を芸術にまでたかめ得ず
 ○女に恋着あって、対手を何も云えずいつくしんで見るようになる男の心持ない わけ。
[#ここから1字下げ]
〔欄外に〕
 翌朝、何か一種揺蕩[#「揺蕩」に「ママ」の注記]たるややエロティックな感じあり。対手を見なおす心持、何か他人でないような気持がする。
 いとしさのようなもの、或いやさもあり。
[#ここで字下げ終わり]

     〔一九二八年〕二月三日 モスクワ

 午後三時半頃日沈、溶鉱炉から火玉をふき上げたような赤い太陽(円く、大きく)光輪のない北極的太陽 雪のある家々の上にあり 細い煙筒の煙がその赤い太陽に吹き上げて居た。
 五時すぎ
 モスクワの町を、月が照す。モスクの金のドームを照す。
(月の光のとどかぬ暗い隅で刃物磨ぎをする男の転り磨石とホー丁の間から火花が散り、金ものの熱する匂いがした。)
 この日没と満月の出の間、非常に短く、月は東に日は西という感じが、街を歩いて居る自分にした。

「七銭で結構だよ」
「いいえ! 駄目駄目」
 リンゴを二つ持って、カーチーフをかぶった若い女が、大道商人とかけ合って居る。

 女乞食が、外国人の女の傍について、
「御慈悲深いお嬢さん、小さい娘のためにどうぞ」
 女は、見向きもせず歩いて行く。
 コムソールが、羊皮外套をきて、二人来た。その外国の女を見て
「из 上海」
 その時大きナ菓子屋の軒先にパッと百燭の電燈がともった。

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