てね」
「はあ」
「そいで何だってえじゃあないの、どっかの工場でストライキでもすると、皆でお金を出し合ってすけてやるんだってね」
「へえ」
「いくらでも出さなくちゃあならないんじゃあ困っちゃうね」
「ええ」

     夜の大雨の心持

 一九二五年九月二十九日より三十日まる一日降りつづいた大雨についての経験。
 大抵一昼夜経てば天候は変るのに、その雨は三十日になってもやまず、一日同じひどさ、同じ沛然さで、天から降り落ちた。雨の音がひどいので、自分の入って居る家以外皆家も人も存在を消されたように感じた。床についてから、洗い流すような水の音、二階の下は、そのザーザーいう水が走って流れて居そうな気がした。
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〔欄外に〕五十年来という大雨
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○小野 酒をのむ、色白、一寸腰のかがめかたなどくにゃりとし「おやかましゅう」という。
○山岡 皮膚のうすい黒い肥り、髪濃く、まつ毛も黒く濃い。動物、舌たるいような口のききよう。発句、釣、低利資金で米松の家を作ろうという。しきりに建築について研究し、
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「あの柱の破れなんか、震災の影響です」又
「あの中廊下が地震のとき役に立ったですな、つっぱりますからね」等。
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 島野 古の物語、絵巻にありそうに貧相でプルルルとしたしなび鼻、うすい髭、うすい卑屈な唇、「――でございます」という。
○竹の島人 大きな酒やけのした鼻、光った、鋭く動そうとする眼。古い記者生活時代のくせで、人を呼びすてに話し、野田大塊、釈宗演のおたいこ。
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     十四夜月

 二階のてすりに顎をもたせかけて、月を眺める。雲が出て段々月に迫り薄雲が輝く月面をかすめ、むらむら迫り、月は、雲にかくれては現れ、現れてはかくれる。ごく子供のとき、台所のよこの高窓に顎をもたせ、そうやって、やっぱりこのように雲に浮ぶ月を眺めたことを思い出した。雲が動くのではない。月が――円い銀色の月が同じ速さでスーっと雲の裂け目や真黒ななかや、もっと薄い、月が白くほの見えるところなどを遊行して居るように思う。自分も一緒にすーすーと。下へすーすーゆくようなのに決して地面近くはならない。やっぱり高い高い空にある。変な、ぼんやりした悲しいような心持。いくつ位だったろう、八つか九つか?

     日々草

 日々草から、キハツ性のゼラニウムの葉から立つと同じような香いがした。根を熱湯につけてさすと一日一日、新しい花がさくと云ったが咲かず、二日目に、葉ばかりになった。

     柳やの女中

 薄馬鹿で色情狂、
 甚兵衛の家に肴をとどけて来て、かえりになかなか柳やへ戻らず。女房丁度雨がふり出したので傘をもって迎いに来る。行き違いになったのだろうと云ってかえる。その間に女は、線路のどこかで、人足に――土方に会い、お嫁に来ないか、女房にならないかと云われ、そのまま一緒に夕暮二三時間すごす。すぐどうかなったのなり。
 この女、人を見れば、お嫁にゆきたい、世話をしてくれないかという。
 翌日、あの土方と約束したから、と云って行く。土方居ず。それから又数日後土方と会い暫く一緒に暮す、土方転々として去ったので、又柳やに戻る。
 そして、或朝しらしらあけに、隣の男のところへ夜這いし、かえるところを巡査に見とがめられ詰問され、姙娠五ヵ月のことから、その子はだれの子かわからないことから、鎌倉で巡査と関係して居たことまですっかり話す。
 巡査は、敏腕と云われる、二十七八歳の生若い、ものを知らない、巡査を天下一の仕事と心得て居る奴、風紀上など些か微力をつくしたい、と云いたいのでしつこくきく。女房困り、前から気が有った円覚寺の寺男と一緒にさせることに急にし、その男をよぶ。眼玉の飛びぬけたような、口をあいた馬鹿。形式の見合いをさせ、おなかのことも承知でいよいよよいとなる。男曰く
「じゃあこれから毎晩来るが、あなた、と呼ぶんだぞ」
 馬鹿女うれしそうに
「はい」

     ○肝癪のいろいろ

 或中尉、ひどいカンシャクモチ
 何かをカンにさえ、いきなり庭にお膳を放り出し、膳がひょいと立つと、それがシャクで、わざわざ出て下りて、ふみつけこわす。
  又
 同じ人
 ひすけた風呂桶にどうしても、水をはれと云う、だめです、いやどうしても一杯にしろ、と駄々をこねる。
 きりょうのぞみでもらわれた十七歳の妻、それがたまらず逃げかえる。
 実家近くで、近所の子を抱いて居ると、馬にのって来かかった元の夫――中尉、ふいと馬を下り、抱いて居る子をあやした。愛し(妻を)未練があったのだ。然しその十七の女、そ
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