代の青年労働者作家を読者の前に紹介する」といわれています。ここのところを、もっともっと、客観的に、民主主義文学の問題として説明していただきたかったと思います。「町工場」は小さい作品だし、これから大きい題材とテーマをこなしてゆくには幾多の苦労と修練とがいることは明白だけれども、これが新しい勤労者作家のけっしてわるくない見本であることも事実です。志賀直哉の文体は、日本ブルジョア・リアリズムの終点でした。志賀直哉風の描写のうしろにねてはいられないといって、高見順その他の人々があれこれディフォーメーションを試みましたが、それは現実理解のディフォーメーションを結果したばかりであったことがますますはっきりしてきている今、文学におけるリアリズムは、こういう、せせらぎのようなよごれない姿で、新しくなって、目にもたたないところから流れはじめてきています。
『新日本文学』は、民主主義文学運動を担当するものの責任として、こういうふうな勤労生活からまっすぐ芸術に結びついて、中途を文学青年的よごれにそまない作家をもり立てなければならないと思います。農民そして、じかに画家。工場労働者からじかに作家。民主的革命家そ
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