の親父から罵倒されたという物語があります。どうせ私生子を生むような女は、と悪態をつかれることなどを聞いていた花村が、主人公の私生子であるということについて大人からうけうりの偏見を持ったわけであり、その動機は、主人公の少年の卑屈から出たうそでした。汚辱、羞恥とは自己を摘発することだと第一回にいわれているほんとうに痛烈なモティーヴが作者にありますならば、どうして作者は、花村が、私生子であるということで自分をいじめ、自分が傷《きずつ》けられたとき、花村にそう云わせた動機は主人公の少年によってつくられていたこと、そして、私生子そのものが羞辱ではなくて、うそをちょいとつくその卑屈さこそ、人間性探究というテーマの上から見のがしがたい穢辱、羞恥であるということにぶつからなかったでしょう。作者の心に真実一貫したモティーヴであるなら、こういうモメントこそ作品の核をなすものであることが理解され、くっきり痛いように浮んでくるはずです。
 私たちが作品を書いている時、ある一つの心理を現象的にすらすらと書いて、さて、汚辱、羞恥とは、と改めて考えなおすというようなことがあれば、汚辱といい羞恥といい、言葉そのものの
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