描いている。「自己完成とその不断の努力のあとを自分の肉体に刻みつける」という言葉で考えている主人公をとおして、作者は、すべての情景、思索、行動をいつも深見進介の肉体、感覚を通じてのみ作品の世界のリアリティーとしてもちこんできています。こういう手法もこの作品の特長だと思います。深見進介の眼の虹彩のせばまるところに光りがあり、情景があり、その虹彩の拡がるところに闇がある、そんなふうに執拗に深見の体にくっついてはなれず、その感情を通じてだけ形象の世界を実在させている。その意味で作者の手法は、そういう主人公の生活を見つめようとするテーマと一致しているといえるでしょう。深見進介は、急進的な学生のグループに接触しつつ「そのグループしかゆくべきところ、生きるべきところはないと知りつつ、彼の全機能でそれを感じつつ、一つにかさなりあえず」苦しんでいる。それは自分の政治的認識が不足だからだとも思うが、なお「心がふれるあつく暗い抵抗のようなものを感じ」それは一人自分だけが感じているのではなく「日本の心の尖端である」と感じる。自己完成ということは、日本ブルジョア・デモクラシーの完成という点とかかわりあった課題であると理解し「科学的な操作による自己完成の追及の堆積」を決心している青年が描かれているのです。
ここでこの作品が注目する価値をもっている点がはっきりしてきます。作者は、主人公が、自己完成を、主観的なおさまりや、観念の枠で形づけようとせず「科学的操作による自己完成の追究の堆積」と理解していることをいっています。科学的ということは、自然科学ではありえないから、社会科学的の意味でしょう。いわゆる文学的にむずかしく表現されているけれども、つまり社会科学的な思索、判断、それによる人間行動の曲折を通じて、より真実に迫りつつゆく社会のなかの自分の足どり、過程のうちに、自己完成というものを理解するというわけではないでしょうか。
こう解釈しても大してまちがいないと思うのは、この作品で主人公の深見進介が、なにかのモメントで、いつもくりかえし自省している一つのことがあります。それは、自己完成の願望の純粋な発露と、保身的な我執との間を、自身にたいしてきびしく区別しようとしていることです。これは、関心をひかれる点です。『近代文学』の個の主張傾向のうちには、この大切な鋭さ、この感覚が全然欠けていて、目が内に
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