ふれたように、正面から日本の歴史的軛に抗議することを断念した性格のものであったし、大正年代に現われた谷崎潤一郎などのネオ・ロマンティシズムの要素も、同時代に擡頭した武者小路実篤のヒューマニズムと等しく、幸徳秋水事件の反動として、社会的な人間性の解放を問題とせず、自分たちの生きている社会の歴史的現実から飛躍した一般人間性尊重とその主観的な表現としての官能への沈湎でした。一九三三年プロレタリア文学運動が圧殺されて後、反ファシズムの運動として世界におこった人民戦線の活動が日本に伝えられたとき、治安維持法の脅威によって、日本における人民戦線の紹介者は、極力、「社会性を問題としない」人民戦線にとどめようとしました。ファシズムというものが、一つの組織された政治的圧力であるのに、それに抗すべき人民戦線が一般ヒューマニズム擁護というモットウにだけ解消されて、民主的な社会的政治的本質を抹殺して、一つの勢力として存在しえないことは自明です。日本における野蛮な抑圧は、人民戦線を無社会性のものと不具化し、その結果ヒューマニズム論議も不徹底となって能動精神の主張となり、それらの主張から生れた作品は「若い人」のような無目的で素朴な生活力の氾濫の描出に終りました。プロレタリア文学が、主張した人間性の解放は、社会的現実である階級の解放ともなるものとして理解されていました。したがって人間性の解放とその自由の要求には、過程として当然さまざまの社会的相剋、封建性とのさまざまのたたかいをさけがたいものとしていたし、そのたたかいを終極の勝利に導くためには、一見、人間性の解放とは逆のように見える集団の規則、献身、克己をさえ必要と理解していました。それらの、歴史の過程が私たちの現実に課す制約は、一九三三年以後すべて「セクト的な強制」というふうに感じられそれを公言することが流行となり、ヒューマニズムという旗は、無軌道な人間感情の氾濫という安易な線に沿ってひらめいたのでありました。日本の近代精神において、ヒューマニズムがいわれる場合、ほとんど常に、それが感性的な面のみの跳梁に終るという現象は、それ自体日本の近代精神の非近代性を語っていると思います。日本の精神は市民社会を知らず、自分一個の存在の社会的脊骨を自身のうちに実感するところまで成熟していません。少年が最初の自我を自分の肉体の上に発見するように、未熟な近代日本
前へ 次へ
全29ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング