響からとき放し、日本の歴史の成長をとげてゆくかということの課題があります。梅崎春生氏には、既成文学的達者さをどういう風にして洗い落してゆくかの課題があり、中村真一郎氏には文学の厳粛性をどう理解してゆくかの課題があります。全体としてインテリゲンチャ新進作家にとっての本年の課題は、日本の歴史の矛盾だらけのひだのすきから生じた個性主義を、どのようによりひろいより歴史的な発展の道におくかという課題があると思います。これらの作家の共通な「近代」の足かせを、今年もこの人々は好んで自分の足首につけておくのでしょうか。
 前年にある程度の成果をもって活動した広範囲の民主的作家の活動は、本年になればそれぞれに辿って来たテーマを発展させ、よりひろい社会的な文学に進むだろうと思います。民主主義文学というものは、進歩的な小市民層の生活と文学とを包括するものですから、勤労者の文学をもっとも注意ぶかく鼓舞しなければならないと同時に、一見なんの奇もないような店をいとなんでいる人の生活、勤人の生活、会社員、主婦などの生活の声が文学に反映してきてよいと思います。
 本年度は、農民の生活をうつす多様な文学と、児童のための文学が真面目にとりあげられ、民論によってはげまされなければならないと思います。今日これほど問題の多い子供の生活に語りかけてゆく健全な文学がこんなに少いということはおどろくべきことであるし、日本の民主化の道程で歴史的な場面に立っている農民のこの複雑な現実が、見るべき一つの作品にもまとめられなかった片手落は、本年度においてとりかえされなければならないと思います。
 戦時中農民を主題として書いた作家が戦争遂行のための農村収奪の方向に協力するばかりで、真に農村の人々の心にはいって作品を書かなかったという悲劇を、本年はまったく新しい人々のペンによって、血によごれていない人々のペンによって語られなければならないと思います。
 ところがこのようなさまざまの期待と希望があるにもかかわらず、用紙の問題はどうでしょう。雑誌・書籍の生産費の暴騰はどうでしょう。そして今の電力割当で、どれほどの本が読めるでしょう。人民の所得は戦前の百倍と査定している政府が、百二十六倍の税額を払わせる時、私たちの文化費はどこに残るでしょう。文化と文学の発展は、社会の生産や権力の性質とこんなにも切りはなせないものだということを、本年度はすべての人が切実に発見する年でもあると思います。そして文学はこの社会的な発見の実感の中にさえも新しい萌芽をもっています。[#地付き]〔一九四八年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「東京民報」
   1948(昭和23)年1月1日号(第七四七号)
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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