活動は本年中どう動くかということは、これこそ実に数百万の小説を読む人々が自分たちの運命についてどこまで自分の主人になりうるかという問題と関連しています。日本の民主主義勢力が日本の民主化をおし進める努力とその成果との対照なしにいえないことです。
 本年度は勤労人民の中からの文化活動は、経済的な苦痛を打開しようとするたたかいとともに活溌になります。組織的にいえば、組合の文化部は前年度の経験によって、だんだん文化の過小評価をなくしてきたし、サークルの指導者たちは文学その他の文化的活動がいわゆる「文化的」な勤労者らしくないさまざまの栄養をうけていることについて十分な注意をよびさまされてきています。
 たとえば四七年十二月にもたれた新日本文学会の大会で行われた文学サークル協議会の報告は、これらの活動家やサークル員の一人一人がごく自然なかたちで、人民の文学というものが、ジャーナリズムとばかり結びついた「流行作家」たちの実存主義や肉体主義あるいは客観主義と、どんなにちがうかということを実感しはじめています。
 本年は、このサークルや職場の人々の間にもたれる文学コンクールの成績が、一そう文学的に評価されるものとなるでしょう。そして民主主義文学の中核をなすべき勤労階級の文学は、だんだんその流れの幅をひろげるでしょう。日本に新しい生活と新しい文学を求めるすべての人々は、はげしい期待をもってこの流れに注目しています。
 おなじように、前年度から活動をあらわしたインテリゲンチャの新進作家たちの、本年度の仕事は非常に期待されると同時に、個々別々にそれぞれの作家として発展させなければならないさまざまの矛盾や希望的なモメントを前年度において示しています。
 たとえば野間宏氏は「暗い絵」を完結して「肉体は濡れて」「顔の中の赤い月」「華やかな彩り」とうつってきましたが主題の小ささにくらべて長い小説にまとめてゆく文学上の危険な現象を、本年はどのように緊密な方向へ発展させるか、また右と左の足がそれぞれに別な土台に立ってしかもその間に「統一をもとめている同時的把握」の課題がこの作家によってどう解決されるかの問題があります。これは野間宏氏という一人の作家の肉体と精神とをたて裂きにするかどうかという問題です。
 また椎名麟三氏には、自分の社会的人間的経験の文学的表現を、どういうふうにしてドストイェフスキーの影
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