いてニヤニヤ笑いながら、
「うむ、よし。買ってやる」
といった。
「本当にお願いします。僕はこれからもう二十九日ぐらい蒸されるだろうし、未決へ行かなくちゃならないから脚気になると実際困るんです」
「だから、買ってやるっていってるじゃないか」
 東北訛のある発音の低声でその若い看守は答え、一つところに立ってニヤニヤしている。本当に買うのなら、看守は、留置人の番号によって保管している金を出し、小使に命じなければならないのだ。
「――お願いします」
「うむ」
「……この前猿又を頼んだ時にも、あなたは返事ばかりして結局買ってくれなかったじゃないですか。――頼みますよ」
 爪先だった大股で入口の覗き穴のところから外の様子を見て、誰も来そうもないとわかると看守はまた落付きはらって、お前の方がとるべき態度をとれば、こっちもきいてやるという意味のことをいった。
「六十日もいて、原籍をいわないじゃないか」
「われわれ共産党員には鉄の規則がある。それは守らなけりゃならないのです。……だが、そんなことはあなたに直接関係ないじゃないですか。買って下さい」
 彼は広島で青年同盟の中心的活動をして、東京へ出て間も
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