れて行かなければならない。下手であろうとも、それらの文章はまず勤労婦人達が自分たちの毎日の生活を通じて階級的な主張を表現してゆく画期的な端緒であり、それこそ正しい階級の武器としてのプロレタリア文学の萌芽である。そしてまた、それはいつも下手であるとは決していえない。主題は自ら階級的見地で扱われていて、或る場合はひどく上手でさえあるのだ。今日真に創造的な婦人作家を生み得る可能をもった階級は、崩壊に向うブルジョア・インテリゲンチャ層ではない。新社会の建設に向って擡頭するプロレタリア・農民層である。
 下諏訪の女工さん達の文学サークルの活動ぶりなどは、この事実を雄弁に語っている。
 下諏訪のサークルから三月三十日に帰京し、その次の日であったか自分は下十条へ出かけた。窪川いね子は数年来下十条に住んでいた。三月二十五日頃日本プロレタリア文化連盟の関係で検束された窪川鶴次郎はまだ帰らず、出産がさし迫っているいね子は風邪で動けないという話である。
 二階へ登ってゆくと、もう数人作家同盟の婦人作家たちが来ている。いね子は床の間よりに敷いた床の上にどてらを羽織って半身起き上り、顔を見るなり、
「ああ、よく
前へ 次へ
全46ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング