一九三四年度におけるブルジョア文学の動向
宮本百合子
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(例)尾※[#「骨へん+(低−イ)」、読みは「てい」、第3水準1−94−21]骨
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一九三四年のブルジョア文学の上に現れたさまざまの意味ふかい動揺、不安定な模索およびある推量について理解するために、私たちはまず、去年の終りからひきつづいてその背景となったいわゆる文芸復興[#「文芸復興」に傍点]の翹望に目を向けなければなるまいと思う。
知られているとおり、この文芸復興という声は、最初、林房雄などを中心として広い意味でのプロレタリア文学の領域に属する一部の作家たちの間から起った呼び声であった。それらの人たちの云い分を平明に翻訳してみると、これまで誤った指導によって文学的創造活動は窒息させられていた、さあ、今こそ、作家よ、何者をもおそれる必要はない、諸君の好きなように書け、書いて不運な目にあっていた文芸を復興せしめよ、という意味に叫ばれたと考えられる。
ところが、このプロレタリア文学の側から見れば文芸における階級性の問題を時の勢に乗じて一蹴したと見られる文芸復興の呼び声は、はからずブルジョア文学の上にも深い共鳴と動揺とを起す結果となった。ブルジョア作家が自身の行づまりを感じ、創作力の衰弱をその作品に反映していたのはすでに二三年前から顕著な社会的現象であったが、昨年末は、その低下が特別まざまざと世間一般の読者にも感じられた。非常時情勢の重圧は、一方プロレタリア文学運動を未曾有に混乱させると同時に、他の一方ではプロレタリア文学運動のそのような混乱を目撃することによってますます自身の生きる現在の社会の紛糾に圧され、懐疑的になり、無気力に陥った小市民的インテリゲンチアの気分が、ブルジョア文学の沈滞として反映したのであった。
折から叫び出された文芸復興の声は、その手足をかがめて沈み込んだ状態に耐えられなくなりかけていたブルジョア作家たちの声を合わせて、文芸を復興させよ、特に純文学を復興せしめよと力説させた。このことは、市場としてのジャーナリズムの上をほとんど独占しているかのように見える、直木三十五などを筆頭とする大衆文学と陸軍新聞班を中心として三上於菟吉などがふりまくファッシズム文学とに対抗してあげられたブルジョア純文学作家たちの気勢であったとも見られる。
この気運の具体化された一例は、昨年末から今年の初めにかけて『文芸』の発刊その他無数の文芸同人雑誌が刊行されるようになったことにも現れていると思う。
さて、文芸復興の声はこのようにしてブルジョア文学の全野に鳴りわたったが、矢つぎ早に問題が起った。実際の作品の上ではちっとも文芸復興らしい活躍が示されないではないか、はたして文芸は復興したか? という疑問である。
その解決を求めて、今年のブルジョア文学は前例ないほどドストイェフスキーやバルザック、ゴーゴリなど外国の古典的作品の再検討をとりあげ、明治文学研究も行われた。(「浪漫古典」の森鴎外、二葉亭四迷、漱石などの研究特輯、佐藤春夫「陣中の竪琴」など)リアリズムの問題も、プロレタリア文学運動に新たな方向を与えた社会主義的リアリズムについての究明と呼応して取りあげられたのであるが、私たちの注意をひく点は、ブルジョア文学におけるこれらの諸課題=リアリズムの問題も、外国の古典作品の研究、明治文学の再吟味などすべてが、文学創作にとって実際上新生面を打開する積極的な役割ははたし得ず、かえって抽象的な不安とともに文学の論争を流行させる結果にたちいたったことである。
今日の情勢は、ブルジョア作家の各人の日常の生活現実にも影響して、その経済的基礎を脅かし、思想の自由を抑圧している。プロレタリアートの組織は極度に破壊されているし、よしんばそれがどこかにあったとしても小市民的インテリゲンチアの日常の救いにはならない。このように不安な時代に生れる文学はリアリズムの方向にもどるにしろ当然かくの如きインテリゲンチアの不安を語り、摘発し、解決する文学でなければならない、というのがその論拠であったと考えられるのである。
そういう社会的不安を反映する文学の創作についての問題を究明するに当って、ブルジョア作家たちのとった態度は、注目すべき一風変ったものがあった。それらの作家たちは、日本の今日の階級社会の生活が現実として彼らにも与えている苦悩、不安、社会的根源をついてそれを芸術化し、作家としての彼らの生活までを改革の方向に向わせるような実践的な努力はせず、不安の文学の手本をフランスに求めた。そして、かつて動揺していた時代のアンドレ・ジイドの低迷的な作品や正統なロシア文学史には名の出ていないようなロシア生れの批評家シェストフ(この人は一八九〇年代の最も陰気な反動時代、「ナロードニキ」の敗北と政府の悪辣な主脳者ポベドノスツェフの弾圧によって、ロシアの知識階級がすべての急進的実践に対して自己破滅を感じ、歴史の発展を絶望した時代にパリへ移住してしまい、恐らく現在ではソヴェト同盟の社会的建設、哲学、文学における成果の価値をも正当に評価し得ないであろうと思われる)の虚無的著作を、非常なとりまきでかつぎあげながら持ちこんできた。落付いて観察すると、これはまことに奇妙なやりかたというべきではないだろうか?
最初叫ばれた文芸復興という一般的な要求にしろ、私たちは、社会生活の実際の条件の中に新しく文学を豊富にし創作を旺盛ならしめる可能性をもった条件が積極的な努力でつくられて行かなければ、それは実現し難いものであることを理解している。これは、一人の作家、マクシム・ゴーリキイの発展の歴史を見るだけでも明瞭な事実である。しかし、文学的要因にふれ得ずに、純文学の復興を叫んだ作家たちは同じ誤りを犯しつつ、不安の文学を提唱したのであった。
深田久彌のように、作品の上ではある簡勁さを狙っている作家も、この問題に対しては、自分が日常生活ではスキーなどへ出かけつつ、かたわら不安の文学について云々している矛盾の姿を自覚することができなかったのである。
不安の文学提唱、その流布の浅薄な性質については、春山行夫などが、言葉に衣をきせずに批判した。彼は、現在フランスでは左翼的な立場を明らかにしているジイドの発展性を見ずに不安の文学の代表者のようにかついだり、五十三年も前に死んだドストイェフスキーの作家としての特殊性、歴史性を無視して今日の日本でとやかくさわいでも、それは現実の問題として日本のブルジョア作家の生活とかけはなれていて、いまさら文学の新しい力となり得るものでないことなどを指摘したのであった。
生活そのものにつかみかかって来るような必然性に欠けた、インテリゲンチアの知的自慰にすぎぬ不安の文学が、当然の結果として夢想しているように強烈な、ヨーロッパ的立体性をもった内容の新しい心境文学を創り出すことができないでいる間に、いい加減に残されていたリアリズムの高唱、明治文学再評価がかえって実際の実を結び、ブルジョア文学の上に、本年度の特徴をなす一現象が現れた。それは、明治文学の記念碑的長篇「夜明け前」を『中央公論』に連載中の島崎藤村はもちろん、永井荷風、徳田秋声、近松秋江、上司小剣、宮地嘉六などの諸氏が、ジャーナリズムの上に返り咲いたことである。
このことは、ブルジョア文学の動きの上に微妙な影響を与えたばかりでなく「ナルプ」解散後のプロレタリア文学にもある反響をあたえた。それについてはのちにふれることとして、ちょうど前後してある意味ではいわゆる文壇を総立ちにさせた一作品が『文芸』に発表された。龍胆寺雄の「M子への遺書」という小説である。
「M子への遺書」はいわゆる文壇の内幕をあばき、私行を改め、代作横行を暴露し、それぞれの作家を本名で槍玉にあげたことを、文学的意味ではなく、文壇的意味において物議をかもし出したのであった。
ある作家、編輯者はこの作に対して公に龍胆寺に挑戦をしたり、雑誌の六号記事はどれもそれにふれる有様であったが、この作品は、文壇清掃の初歩的な爆弾的効果をもはたさず、いわば作者一人の損になってしまった形で終った。
ブルジョア文壇への登龍門があるとすればそれには就職運動と同じようにさまざまのブルジョア的なひき[#「ひき」に傍点]がからんでいること、今日文壇に出ようと思えば銀座辺のはせ川とかいう店で飲まなければ駄目だとか、公然の秘密となっている菊池寛を先頭としてのさまざまの程度の代作あるいは放蕩、蓄妾その他は、ブルジョア風な世界観に支配されているブルジョア社会の一部である文壇において決して意外のことではないのである。「M子への遺書」の作者が、どのような内心の憤激と自棄にかられてあの作をかいたか分らないけれども、もし、真面目にそれらの社会的腐敗を作家として問題にするのであれば、全く別のやりかたでされなければならなかったであろうと思う。ブルジョア文壇に悪行があるとすればそれはとりも直さずその作家たちの属する社会層の悪行であり、その根絶への方向は、一作家の文壇の枠内でのジタバタ騒ぎにすぎないことはわれわれの目に明らかなのである。
さて再び、自然主義以来の老大家の作品とその影響とに戻ってみよう。
これら一連の老大家たちの作品の中で、よかれあしかれ最も世評にのぼったのは荷風の「ひかげの花」であった。当時、批判は区々であったが、大たい内容はともかく荷風の堂に入ったうまさはさすがであるという風に評価された。そのうまさ[#「うまさ」に傍点]を買わないで、内容にふれた世評をするのは文学を理解しないものであるかのように考えられた。荷風が小説家としてたたき込んだ芸[#「たたき込んだ芸」に傍点]が云々された。しかしそのうまさというものも、内容の調子の低さにふさわしく紅葉時代硯友社の文脈を生きかえらせた物語体であり、天下の名作のようにいわれた谷崎潤一郎の「春琴抄」がひとしく句読点もない昔の物語風な文章の流麗さで持てはやされたことと思い合わせ、私は日本の老大家の完成と称するものの常態となっているような文学上の後ずさりを、意味ふかく考えるのである。
さらに我々の深い注意と観察を呼ぶことは、一方においてジイドやドストイェフスキーやシェストフや、盛に深刻強烈なジリッと迫った心境を求めているかのように見える作家たちが「ひかげの花」に取扱われているそれとは全く反対の生ぬるい、澱んだ、東洋風の諦観に貫かれているのでもなければ、フィリップの作のように、生活への愛に満されているのでもない、ずるずるべったりの売笑婦とその連合いとの生活を描く作者の心境に対してはっきりした軽蔑を示し得なかった事実である。私はこのことをもう一度後段でとりあげたいと思うが、荷風が往年特徴としたデカダンスの張りあいない腰をおとした作家的態度を見すごすこと(実質的にはそういうものへの妥協)は、何か後輩の大人らしさという風にポーズされ、この「ひかげの花」は「春琴抄」とならんで、一般文学愛好家の間にまでいわゆる文章道の職人的手腕に対する関心をかき起した。
今日の社会的段階にあって、リアリズムはそれが客観的現実を反映するリアリズムであるならば社会主義的リアリズム以外に内容され得ない。その必然を理解しないでふるい世界観のうちに閉されている作家たちが、若々しい年齢にもかかわらず、荷風のあるうまさ[#「うまさ」に傍点]だけを切りはなして問題にしたことは十分うなずけるが、この職人的な腕を作品の持つ社会的歴史的価値から切りはなして、評価する誤りにはプロレタリア文学を創ろうとしている一部の作家たちもまきこまれた。
やはり、リアリズムの不確実な理解に煩わされて、現実にきりこむ作者の態度と血の通ったつながりにおいて文章のうまさ[#「うまさ」に傍点]を見ようとせず、ただ作家には技術が必要であるという、文学における階級性以前の立場から「春琴抄」のうまさ
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