一九三四年度におけるブルジョア文学の動向
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)尾※[#「骨へん+(低−イ)」、読みは「てい」、第3水準1−94−21]骨
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一九三四年のブルジョア文学の上に現れたさまざまの意味ふかい動揺、不安定な模索およびある推量について理解するために、私たちはまず、去年の終りからひきつづいてその背景となったいわゆる文芸復興[#「文芸復興」に傍点]の翹望に目を向けなければなるまいと思う。
知られているとおり、この文芸復興という声は、最初、林房雄などを中心として広い意味でのプロレタリア文学の領域に属する一部の作家たちの間から起った呼び声であった。それらの人たちの云い分を平明に翻訳してみると、これまで誤った指導によって文学的創造活動は窒息させられていた、さあ、今こそ、作家よ、何者をもおそれる必要はない、諸君の好きなように書け、書いて不運な目にあっていた文芸を復興せしめよ、という意味に叫ばれたと考えられる。
ところが、このプロレタリア文学の側から見れば文芸における階級性の問題を時の勢に乗じて一蹴したと見られる文芸復興の呼び声は、はからずブルジョア文学の上にも深い共鳴と動揺とを起す結果となった。ブルジョア作家が自身の行づまりを感じ、創作力の衰弱をその作品に反映していたのはすでに二三年前から顕著な社会的現象であったが、昨年末は、その低下が特別まざまざと世間一般の読者にも感じられた。非常時情勢の重圧は、一方プロレタリア文学運動を未曾有に混乱させると同時に、他の一方ではプロレタリア文学運動のそのような混乱を目撃することによってますます自身の生きる現在の社会の紛糾に圧され、懐疑的になり、無気力に陥った小市民的インテリゲンチアの気分が、ブルジョア文学の沈滞として反映したのであった。
折から叫び出された文芸復興の声は、その手足をかがめて沈み込んだ状態に耐えられなくなりかけていたブルジョア作家たちの声を合わせて、文芸を復興させよ、特に純文学を復興せしめよと力説させた。このことは、市場としてのジャーナリズムの上をほとんど独占しているかのように見える、直木三十五などを筆頭とする大衆文学と陸軍新聞班を中心として三上於菟吉などがふりま
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