こうありたいと思い、こうあるべきだと確信して致したことは殆ど十中の八九まで、事実において「そうではなく」なる。さながら見えざる律のように的確に、反対の現象となるのである。
 このごろ私は、先《せん》よりはずうっと現象その物をじっと見守って行くような傾向にいる。自分の持って生れた気質と、周囲の雑多な無数な箇性との折衝をも考えてみる。しかし、ガルスオーシーの小説の主人公のように“Curious thing――life! Curious world! Curious forces in it――making one do the opposite of what one wished!”と云って、差し上る月光の柔かい夜気のうちに溜息を吐くだけではすまされない。結局人間一人の力は、その不可見な力に及ぶものではない。人間にはあまり多過ぎる。人間にはあまり高すぎる、「私共はつまり出来るだけ親切になり扶《たす》け合い、多くを予期しないと共にあまり多くのことをも考えずにやって行くのだ。thats' all!」そうだろうか、ほんとにそれが thats' all なのだろうか。
 近頃の私の経験は、自分が「貧しき人々の群」を書いたときよりは苦しんでいる。だからあんなに泣きはしない。そう雑作なく涙をこぼしてはいられない。けれども、私の心はこういうことに逢うとハッと撃たれて動けなくなる、ほんとに動けなくなる――。
 やや暫く経ってから、私は足音を忍ばすようにして自分の部屋へ上って行った。二階を昇りきって、三階へ掛ろうとするところに新らしく左右へ渡された板には“Please do not come up unless you are responsible for any damage!”と書いてある。私は暫く立ってその文字を見つめた。
 広い階子段に掛った板は、ただ見たときよりもずうっと細く華奢《きゃしゃ》に見える。ただ単純なノートに見える。それが今の私の気分にとってはせめてもの心ゆかせなのである。
 そうっと鐶《わ》を脱《はず》して自分の体をこちらに置くと、脱した鐶をまた音のしないようにもとに戻して、私は殆ど忍びこむようにして自分の部屋に腰を下したのである。



底本:「宮本百合子全集 第一巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第一巻」河出書房
   1951(昭和26)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年1月2日公開
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