ばかりのところなのである。
彼が、どうぞ出発までどこもわるくなりませんようにと一生懸命注意していたと同じ程度に、私共は子供のあさはかから万ケ一故障のあるのを隠しはしまいかということに注意していたのである。それ故、折角行かれると思ったのに、ここで止められては大変だと思っているようすを、明かに表示する執拗さと頑固さで彼は断然と熱を計ることをこばんだ。
彼が厭《いや》がれば厭がるほど、熱のあるのを確かめた母は、いきなり手を延して額に触った。
そして、
「お前が何と云っても熱はあります。おはかりなさい」
と云って、検温器を無理に挾ませた。
出して見ると、九度五分もあったので、彼ももう何とも云えないで、おとなしく床に就くほかなかったのである。
心臓を冷してやったり、脈搏を数えたりしながら、腸の熱をずいぶん高くまで出す彼のふだんを知っている私は、不安らしい不安はちっとも感じなかった。
「カンコウ」か「ヒマシ油」の頓服でも行けば、あしたの朝はカラリと、まるで嘘のように癒ってしまう経験を、屡々得ているので、今度もまたその通りだろうと思った。
「何でもないのにおかあさま心配するから僕全くいやになっちまう。風邪にきまってら」
などと云いながら、別に苦しくもなさそうに寝ている彼の傍へ机を持ち出して、私はわりに落着いた心持で或る読みかけの本を開いていた。
心配は心配なのだけれども、もう少し後だったらすべてにおいてもっともっと危ない状態に置かれるところだったのを、いい工合に今始まってよかったという安心が、かなり強く私共の心を支配していたのである。
そして、私には特にはっきりと、当然こうなるはずだったのだというような心持が著しく起っているのを感じていた。なぜだか解らないけれども、こうなるのが決して意外な出来事ではないという気がしていたのである。
人に知られまいと努めていた緊張から解放された彼は、だんだん夜が更けかかるにつれて、頭痛を感じて来た。
水枕を当てたり、氷嚢《ひょうのう》を当てたりしても、どうしても眠られないのを苦にし始めた頃から、九月三十日のあの恐ろしい大嵐が、戸外ではいよいよあらあらしくなって来たのである。
ドドドウッとたたきのめすように吹きおろす風が、樹木の枝を折り草を薙《な》ぎ倒し、家屋の角々に猛然とぶつかって、跳ね返されまた跳ね返されしては、ワワーッ! ワ
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