れることは、うるさくて堪え難かろう。どんな息子にしろ、格別の感情を抱いてもいない妹の友達たち一人一人をやがての嫁選びのような目で自分にひきつけて眺められることには我慢しきれない神経をもっていると思う。家庭というもののうちにあるそういう煩わしい、幾分悲しく腹立たしい過敏な視線が、若い世代を外へとはじき出していることを、父母たちはどの程度に洞察しているだろうか。
 社会の歩みは日本の今日の若い世代を片脚だけ鎖の切れたプロメシゥスのような存在にしているから、両性の友情の条件も実に波瀾重畳の趣である。男と女とのつき合いはまだまだ特殊な目で見られているのだから、どうしても、一方には責任を負わないことをそのたのしさとして求めている両性の遊びがあり、まともな結婚の対象ということになると、それらの友達の間からではなく、もっと保守な面から選ばれるという奇妙な現象が近来増して来ているように思える。特に男の側からその態度がつよくなって来ていると見えるのは今日の世相のどういう反映というべきだろう。つまり友達としては向上心もあり、感受性も活溌で、幾らかはスポーティな、いってみれば手ごたえの鮮やかな女性を好む若い男たちが、いざ結婚のあいてを選ぶとなると案外そのようなタイプとは逆の、いわゆる家庭的と総称されて来ている娘たちの方を妻として安心に思う消極性によってしまう。
 この一事においてさえ、若い女性の人生への念願とはすでに喰いちがうのである。今日いくらかでも女の一生の意味を考える若い婦人たちは、いわばさっぱりと友達として女性につき合うことも知っている男性、女に向えばオイ! という声が喉に湧いて来るような習性をもっていない男の中から、できることなら良人も発見して、お嫁入りではない結婚と呼ぶにふさわしい生涯の歩み出しを願っている。女性として社会に求めている積極の面で働こうと欲していると思う。それだのに結婚の対象を選ぶときには男の心が保守となり、そのことでひいてはこれまでの友達としてのつき合いも女性の心の自然からいつとはなしにたたれることにもなる。
 友情といわれるごくひろい気持の上で経験されているこのような相剋は、女性がますます社会的な活動にひき出されて来ている今日、若い世代の生活感情にとってあるいは時代的な不幸としての性格をもつものではないかと思う。実生活の困難がますます加わって来るにつれて、男
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