ものが在って、初めて互の友情の社会的なよりどころが与えられる。境遇が変っても、その変りかたに互の生活態度として納得の行くものがあり得ること、その境遇の変えかたに、相手の生活態度として評価し尊敬し得るもののあること、そこに女同士の友情も立つのである。そういう意味で、友情は生活的である。互の生活の導きぶり、関係させぶりそのものの中で友情の本質がいわば語られるのであって、そういう本来的なものからはずれて、友情のためとか、友情の美しさ云々は成り立たないのであると思う。友情という抽象名辞で描かれてゆくものでなくて、互の間の日々に生きこめてゆかれるものなのである。

 異性の間の友情というと、何かそこに特別なものが待たれているように思われなくもない。異性の間では、一方が男であり一方が女であるのだから、その友情にどこやら恋の香りも漂っていそうに思われたり、恋愛と友情との境にある模糊とした感情の霞がひかれていて、きょうはそのあちら側へ、きのうはこちら側へと心の小舟の操られるサスペンスに、異性の友情の趣があるとでもいう風に気分の上で描かれているところはないだろうか。ゲーテだのルソーだの岡倉天心だのの伝記
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