間にも異性の間にも期待するのは自然の心と思う。社会生活そのものの成長のあらわれとして、友情の可能が見られるものである以上、この願望には個人のひそかな願い以上のものがあると思う。同時に、個人のひそかな願いだけでは解決されきれない要素もこもっているということになるのである。
これは男のひとの感情のなかでもきっと同じに現れることなのだろうと思うのだけれども、たとえばこうして異性の間の友情というものを当面とりあげて考えているとき、私の心には、異性の友情の胎とでもいうようなひろいものの感じで、女同士の友情のことが浮んで来ている。女同士の友情への関心ぬきで、異性との友情は十分語りつくせないような心持がしている。これは興味ふかい生活の必然なのではなかろうか。
女同士は決して心からの友ではあり得ない。なぜなら、男というものに向ったとき彼女同士こそ、互の競争者であるから。そんな意味の警句があったように思う。今日でも、私たちは女の口から、女同士はとかくむずかしくて、とか、いやで、とかいう言葉をきいていると思う。ヨーロッパの風俗で、夜会などで一つ踊るにも女は男の選択に対して受け身の積極性を発揮しなけれ
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