異性の間の友情というようなものを描いて、実際には恋愛ともいえ、あるいはもっといい加減に男女の間に浮動する感情を、その友情というようなところへ持ちこんで逃避したりする、無責任なくせにまぎらわしい甘ったるさを嫌って、かえってはっきり否定されたのだろうと考えられる。
 けれども、私たちに同様の問いが出されて、それに対する答えを日常の生活のうちにさぐった場合には、それとはすこし違った返事があらわれて来る。女同士の友情が深い根をもっているその生活感情のひろがりの中にやはり異性の間の友情が自然な実際として含まれて存在している。私たちの答えとしては、異性の間の友情はあると思っているし、現に存在している。もちろんそれには非常に複雑な社会的な条件がともなったものであるけれども、という返答になるのである。そして、どちらかといえば、ますますそういう異性の間の曇りない親切な友情の可能がこの世の中に社会的な可能として、より多くもたらされることを希望する心がある。
 私たちにとっては友情というようなものも、ごく社会的な内容をもつものとして経験されて来ていると思う。恋愛とか友情とかは、人間感情がたかまった形として、
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