願いですから、高畠さんから何かお話があったら即答なさらないで下さいね。あなたは私が遊びに行きたがっているとでも思っていらっしゃるのでしょう。……母親は息子達の将来をいつも考えているものなのですよ」
と涙を含んだような声で云ったのをも黙殺した。
 玄関に降ると、彼は書生に、すぐ書斎の煖炉に火をつけることを命じた。
 彼は手早く着換えをし、高畠子爵のそれほど広大ではないが、小ぢんまりと充分居心地よい書斎の机に、大部の書籍を数冊とり出した。二月下旬の夜気は何といっても爪先にしみる。彼はそれをものともせず活気横溢した学生のような意気込みで、ジョルジョの作品年代を調べ始めた。直覚的な自分の推測と合致した記述に出逢うと、老いた若者は亢奮してデスク・ラムプの狭い光の弧の下で肩を揺り動した。執念深いみや子の別荘話も、一日の疲労も何処にか消えてしまった。日下部太郎は、燈火の朧《おぼ》ろな書斎の一隅で、古風な鳩時計が、クックー、クックーと二時を報じる迄、机の前を去らなかった。

        五

 翌日の午後、日下部太郎は昨夜の礼を兼ねて再び高畠邸を訪ねた。
 主人は留守であった。彼は夫人に通じて、も
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