、然し一度もぱっと咲き揃った花盛りという時代はないなり凋《しぼ》んだような顔をみや子に向け、子爵夫人は感歎した。
「いつおめにかかりましても日下部さんはお気が若くて何よりでございますことねえ」
「騒々しいばかりで恐れ入ります」
みや子は、小ぢんまりした夫人の横でなお堂々と感じられる盛装の体をちぢめるようにしながら謙遜した。
「いつもいつもさぞおやかましゅうございましょう」
「何の、お賑やかで何よりでございます。私共ももう直ぐお祖父《じじ》さま、お祖母《ばば》さまでございますが、お宅では?」
「私共では男ばかりで先が遠いことでございます。上のがやっとこの春大学へ入る筈でございますがいかがなりますか……」
珈琲を静にまわしながら、みや子は微に声の調子を更えた。
「それにつけても、御前様はさぞ御安心でいらっしゃいましょう。もうこれから皆様の御繁昌を御楽しみ遊すだけでございますもの」
「まことにねえ」
子爵夫人は掌の上でだんだん冷える珈琲を飲もうともせず溜息をついた。
「近頃は万事むずかしゅうございましてね。打ちあけたお話が、私共の致すことは若い人にはよかれと存じても気に染まないらしく見えます。それでも、まあ晨子のことは幸い日下部さんのお肝煎《きもいり》でどうやら安堵出来そうでございます。本当におかげに存じておりますよ」
「それどころでございますか」
みや子は力強く対手の感謝を遮った。そして、自分の言葉がまるで土地売買にでも関するようだということには全然心付かず話を進めた。
「及ばずながら日下部も出来ます限りお気風に合いますところと随分心にかけてはおりましたようでございますが……当節のお方はなかなか御註文がどちらもおやかましいものでございますからね。――それでも、晨子さまならばきっとお仕合わせでいらっしゃいましょう」
子爵夫人は、無邪気に然し淋しそうに微笑した。
「それがおかしゅうございます。晨子はもう西洋へ参ると申すのばかりが嬉しいものと見えましてね。……まるで子供のようでございますよ。彼方に参って役に立たないものは何も入用《い》らないなどと呑気を申しております」
彼女は、細そりした肩に片手を動して羽織のずったのをなおした。
「……親の心子知らずとはよく申したものでございます」
これに応えて、みや子が更に同感を示す溜意を吐《つ》こうとした時であった。
彼女は、
「ふふう、これは――」
という亢奮した良人の声を聞いた。見ると、日下部は何を見つけたのか、足より首が先に延びるという風で側棚の方に歩いて行く。子爵も続いて立ち上った。そして、男ながらしなやかな衣類の袖口からすこしも手首がいかつく見えない体を鷹揚に運びながら、至極満足そうに云った。
「さすが眼が早いな。――どうです? 実は君の鑑定を仰ぐ積りでわざわざ倉から出させたのだが……」
みや子は好奇心を動かされた声で、
「何でございましょう」
と傍の夫人に訊いた。夫人は、みや子を私《ひそ》かに苦しめている無気力の優美さで膝の上に置いた手の位置も換えずに答えた。
「きっと焼物でございましょう。――殿方はお娯《たのし》みも多くてお仕合わせでございますことねえ」
勢、会話は陶器と無関係な方向に流れた。彼女等はぽつぽつ近頃流行の婦人の水泳、乗馬、舞踏などの話をした。何を話し出しても夫人は、
「私共のようになりましてはねえ」
と微に眉を顰めるばかりである。到底全心を打ちこめない弱々しい殆ど退屈な会話の傍ら、みや子の注意は卓子の前にいる良人と子爵とに向けられた。二人の前には珍しい深紅色に光る皿が一枚出ている。みや子は、うっかり黙り込んだ自分を見出し、元気をとりなおして新たに話の緒を見出した。彼女は気候の話から、子爵夫人に旅行をすすめた。
「これから関西はさぞよろしゅうございましょうね。晨子さまの御仕度かたがたお揃いで京、大阪にお出かけ遊しませ。――よいお思い出でございましょう」
「それほどに致しませんでも、これで暫くところが変りますとね。当分はそれどころでもござりますまいが。――けれど、あいにくこれといって手頃な別荘もございませず……」
みや子は訝しげに夫人を顧みた。
「沼津の御別荘は――お手入れでいらっしゃいますか?」
「ああ、あれはもう昨年から参りませんのですよ。追々手離す所存でございましょう。小田原に小さい家がございますが、これはまた昨年の地震で滅茶になりましてね」
「さようでございましたか。……」
みや子は、何故か二三度せわしく瞬きをした。今迄ぼんやり部屋中を見廻していた彼女の瞳の奥に活々と集中した輝きがとぼった。彼女は愛嬌よく訊ねた。
「失礼でございますが、あの沼津の方はどなたかの御懇望でございますか?」
夫人は、ひとりごとのように説明した。
「いいえ、子爵の気ま
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