じ愁わしげな眼差しでその青い布を見た。そして丁寧に腰をかがめて礼を云った。
「有難うございます。一寸の間でございますのに此那にまで……」
 さほ子は、懸命な声で、
「いいえ、いいえ。其どころじゃあないわ」
と打ち消した。
 そして、生えぎわの美しい千代の下げた頸筋を苦しそうに見下しながら、いたたまれないように何遍も何遍も、落ちていもしない髪をかきあげた。
 千代は、その午後のうちに、来た時通り藤色の包みを一つ持ったきりで彼等の家を去った。彼女が出て行った後をしめ、樹の間に遠のく姿を暫く見ていたさほ子は、今にも涙を出しそうに、うるんだ眼をして良人の処に来た。揺椅子で日向ぼっこをしていた彼は、
「有難う、有難う」
と云いながら、彼女の片手を執って敲《たた》いた。
「御苦労様。これでれんが来れば申し分はない。――いいお正月を迎えよう、ね?」
「いや!」
 彼女は睫毛まで光る涙をあふれさせ、良人の手を離した。
「貴方は本当のエゴイストよ。御存じ? 私又れんに迄云い訳しなけりゃあならないなんて……。もう沢山よ。あんなこと」
 彼は、ちらりとさほ子を見上げ、やれやれと云う風に頭を振った。そして、脚を毛布でくるみなおした。
 さほ子は、時々足をかえて、一方から一方へと体の重みをうつしながら、何時迄も良人の椅子の傍に佇んでいた。
 十二月の晴々した日かげは、斜めに明るく彼等の足許を照し、新しい家の塗料の微かな匂いと花の呼吸《いき》するほのかな香とが、冬枯れた戸外を見晴す広縁に漂った。[#地から1字上げ]〔一九二五年五月〕



底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「愛国婦人」
   1925(大正14)年5月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年8月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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