的に行うための、具体的情勢の個別的条件としてだけ、民族性は問題となって来る。
どんな場合でも中国は中国、日本は日本ではない。中国はこうで、日本はこうで、それぞれの特殊性は、互に国際的階級闘争の全場面に対してどういう役割を持つものか。そういう観点からとりあげられて来るのだ。
だから、各国の階級闘争が国際的連帯を緊密にするにつれて、文化活動の国際性もこの頃ますます拡大されて来た。
文学活動上の種々の問題、例えば創作の唯物弁証法的方法という問題にしろ、プロレタリア文学の大衆化の問題にしろ、日本の「ナップ」が提起しているばかりではない。アメリカでも、ドイツでもソヴェト同盟でもプロレタリア文化・文学活動に従うものの間に国際的な共通な問題となっている。
こういう問題が起るごとに、民主主義作家や反動作家は口を揃えて悪口をいって来た。日本のプロレタリア作家のざまを見ろ。ハリコフ会議が決定したとさえいえば、それに追従して農民文学の問題をとりあげる。ソヴェト同盟やドイツで創作の唯物弁証法的方法といえば、又それに太鼓をたたく。定見のないオッチョコチョイ奴、と。
然し、この悪口は彼らの、非プロレタリア的な世界観の曝露として役立つだけだ。
過去十年間に農村恐慌は徐々に激化して来た。そして、今日の世界の農民解放運動の実際は十年前のものと性質をすっかり変えている。農民とプロレタリアートとの結合の必要さ、連帯的闘争の必要が今日ほどはっきり示されていることはなかった。その進展した新段階において農民の文学が、世界のプロレタリア作家、農民作家によって見直されることは当然なのだ。
プロレタリア文化連盟の結成は、ドイツにもアメリカにも、日本にも行われている。
創作上の唯物弁証法的方法の実践的探求は、こういう種々の国際的プロレタリア文学における任務を、最も全面的に、最も現実的にはたしてゆくための理論および技術獲得の問題として、又国際的重要性をもっているのだ。
つまり、一人の、或いは集団となった農民、学生、労働者をとらえて、プロレタリア的観点から描写するに当って、具体的条件として在る闘争への種々の可能性、矛盾、困難、進展性を相関的にもれなく洞察し、同時にその総和としての全局面を、内国的、国際的解放運動全般との関係において観、表現する技術として、われわれに唯物弁証法的方法の獲得は大切なのだ。
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