うなものではなくなって来ていると思う。私たちは、日夜、営々として、人間として願わしくない事情を、より願わしい方向に向けて有形無形に推しすすめようとする直接の感じで生きていると思う。自分の生活に現れて来る不如意や困難の深くひろい原因と、社会のつながりとを理解し、それを細かく理解することからその中に在る可能を見つけ出して、その可能は一杯に育てたいという努力で生きており、その努力に甘えず、人類の進歩から的はずれなものとならないためには、一層広く透徹した人間生活への理解、堅忍と愛とが必要と思われている。
仮りに不幸とか幸福とか云う云いかたに従って現代を見れば、世界のありようとして、私たち誰もの生活に波瀾は避けがたく、もし現代の若い女性がスポーツの精神を理解すると云うならば、人生におけるフェア・プレイの美と、善戦とはいかなるものかという、それら交々《こもごも》の悲喜や勇気などこそ、多くのものを語っていると思う。[#地付き]〔一九三九年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「婦人公論」
1939(昭和14)年7月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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