族の生活を辛辣に描き出したのもこの時代であった。ロシヤではツルゲーネフが「猟人日記」からひきつづき、その時代の若いロシヤの青年男女の姿を「その前夜」「処女地」などに描いた時代である。よりよい社会への願望、研究、行動が空想的であった前世紀の理想社会への憧れから科学的な社会主義の方向に高まりつつ、世界の卓抜な才能と思想とを方向づけていた巨大な一時代であった。たとえ、淑女らしさという金縛りを身にうけてはいても、その時代の先進国であったイギリス生れの知識婦人であったフロレンス・ナイチンゲールが、社会衛生、道徳改善の事業にその規模の大きい現実的な精力の対象を見出したということは、決して不思議ではなかったのであった。
 ハーレー街の慈善病院監督となった翌年、三十四歳のフロレンス・ナイチンゲールが遂にその渾身の力を傾けて遂行すべき仕事が起った。一八五三年に英露のトルコ分割を目的とするクリミヤ戦争が起った。この戦役におけるイギリス負傷兵の状況の酸鼻が、しばしば議会の問題となり、世界の注目がそこにあつめられた。この時代まだ笞刑の行われていたイギリス陸軍の兵士が、クリミヤ戦争で傷つき、運ばれてゆくスクータ
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