リーの陸軍病院という名は、有識の人々の間に「地獄」の別名となった。
シドニー・ハーバートという時の大臣の一人が、この時思い出したのはフロレンス・ナイチンゲールの存在であった。彼はフロレンスこそ、この場合に何事かをなし得る婦人であるとして、招きの手紙を送った。折から、ナイチンゲールの心にひらめいていた計画も、符節を合してまさにそのことであった。
フロレンスが二人の親友と三十八人の看護婦をひきいて一週間のうちにロンドンを立って、トルコのスクータリーに到着したのは一八五四年の十一月であった。
このクリミヤ戦争にはトルストイが一士官としてロシヤ軍に加わっており、セバストーポリについた第一歩に負傷者の哀れな有様に激しく心を動かされたのが、この同じ年の十二月であったことも思い出される。
ロンドンを立つ時、当局の役人はナイチンゲールの問いに答えて、スクータリーには何一つ欠けたものはないと明言した。よしんば衛生材料が多少不足していても四日間でコンスタンチノープルから支給されるのだから、と。その言葉にもかかわらずフロレンスは女の勘で、いろいろな材料と金とをどっさりたずさえて、さて、到着したスクー
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