所方面での彼女の計画をほとんど旧態に戻してしまった。苦しい時がはじまった。詩人のアーサー・クラッフがひきつづいて亡くなった。忠実であったメー叔母は、彼女の許から去った。これはメー叔母が死んだよりも大きい苦痛をフロレンスにもたらした。
けれども、彼女の不撓な気質は、それから後は一層広汎な病院、貧民収容所の状態を改善した。彼女の傑出した論説の中には一九〇九年の窮民救助法調査会に先鞭をつけているものもあった。インドの衛生状態にも彼女の関心が向けられ、長年の間、新任印度総督はその出発前にナイチンゲールを訪ねるのが習慣であった。
このインドの衛生問題について、私たちに多くのことを教える一插話がつたえられている。それは、インドにおける彼女の影響が最高潮にあったとき、ナイチンゲールがクリミヤの経験をどこまでも固執して、炎熱の激しいインドの病院でも、病室の窓々は開放されていなければならないと強硬に主張したために大恐慌を来したという事実である。「彼女の生涯の大成果は、病気の科学的な取扱いに非常な刺戟を与えたことである。しかし真の科学的方法への理解は彼女に縁遠いものであった。彼女はこれまでの活動家の
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